「古武士(もののふ) 番外編 」 1/6
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「古武士(もののふ)番外編 講道館柔道への爆弾宣言」
今回より6回に渡って、「文芸春秋」1963年3月号に掲載された
道上伯の手記を紹介します。
(文藝春秋社より掲載許可をとっております)
当時、国家権力とも言える講道館に対してこういった手記を載せる
ことを許した文藝春秋社 当時の安藤直正編集長に敬意を表します。 なお、安藤編集長と道上伯は偶然の出会い(ある建物の階段で出会い、日本の方ですか?との声掛け)から、掲載までの発展に至りました。
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【危いかな、日本の柔道】
いよいよ東京オリンピックも、明年の十月に開かれる。
あと六百日、などと呑気なことをいってはいられないところまで
迫ってきたが、祖国日本の柔道はどんな研究精進をし、進歩発展を
とげていることだろうか?
今日において、いまだに”無敵”の幻想を抱いているはずはないと思うのだが、一昨年のパリで開かれた第三回世界選手権のすんだ
直後の日本の柔道界の狼狽は、異国にあるものの眼にはまことに
ひどいものに映ったものだ。
泰平の眠りをさます蒸気船にあらぬ、一人のオランダ人に振りまわ
されて、その為すところを知らぬ慌てぶりは、はるかオランダに
いた私にも容易に想像ができた。
しかも伝えられてきたその首脳部の言たるや、開いた口のふさがらぬ驚きを私に与えたのだった。曰く「寝技の研究が足らなかった」
曰く「力が技を上まわった」 まことに何とも汗顔のいたり。
日本ではそれで通用しても、外国では通用しがたい言葉なのである。力も技の一部ではないだろうか。なるほど、力が技術の全部でないことは万人の認めるところだが、柔道技術を最も有効に働かすには、やっぱり力がなければならないことも、柔道人のひとしく認めているところだ。
技術(幾何学的、力学的)を活かすには、精神力と体力(体重に非ず、筋肉の強靭さ、弾力、スピードが加味されたもの)が絶対必要条件だ。私がコーチしているヘーシンク(世界選手権保持者)の平常の鍛錬も、技術面はもちろんのこと、その体力をいかんなく技術面に活かす工夫、つまり技術を百パーセント活かすためにはどこの筋肉の強い働きが必要であるかを研究して、つづけられてきた。
その彼が、選手権を獲得したことは偶然ではなく、まったく当然すぎるほど当然のことで、力が技を上まわったなどという評は、私をして言わしむれば、群盲象を撫でるにひとしい、というほかはない。
柔道を知らないものの評であれば、またそれはそれでよい。
しかし、専門家の、それも祖国柔道界の首脳部といわれる人々が、もし、かかる妄言をもって惨敗を糊塗し、責任を回避しようとしているとすれば、柔道人の末席をけがしている一人として見逃すわけにはゆかないのである。
ここに心からお願いしたいことがある。
一つは、伝統の名のもとに封建的組織制度のうえにあぐらをかき、その実力を過信して研究をおこたり、伝統ある日本柔道を初めて
敗北せしめた責任を、首脳部はいさぎよくとってほしいということ。
その二は、今年こそ組織制度を刷新し、首脳部人事を改編し、外様的立場におかれている有能の士を迎えて、柔道界をたて直していただきたいということ。
この二つ、である。
これなくしては、来るべき東京オリンピックの勝利もおぼつかないのではないか。危いかな、日本の柔道、である。
もしオリンピックにおいて同胞の眼の前で一敗地に塗れることがあれば、柔道は、もはや日本のものでなくなってしまうだろう。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。