「古武士(もののふ) 第19話 終戦」
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戦争は終わった。
上海からの帰途、無残に爆撃されて焼け野原と化した町々を見て来た 玉音放送も聞いた。
しかし、道上には敗戦という事実が、もうひとつ現実のものと感じられなかった。
武道家としての矜持だろうか、軍人たちが混乱し打ちひしがれている中、 「僕はどこもやられていないし、何も変わっていない」、そう考えていた。
失ったものと言えば、上海から送った200万の小切手がマッカーサー指令で支払い停止になったことぐらいであった。 夢の様な大金ではあるが、精神に打撃を受けるようなことはない、まして命にかかわるわけではなかった。
しかし八幡浜の様な小さな町にもすぐ進駐軍はやって来た。
二十数名のイギリス兵だった。
外形的に言えば、これがこの町の人たちが目にした占領の最初の具体的光景だった。
スコットランド出身のイギリス兵たちは、佐島に保管されていた戦艦大和・武蔵用の砲弾の処理にやって来たのである。
彼らはそれらの砲弾から信管を抜き、海中に投棄する作業を始めた。
ほどなく警察署長が道上のところへやってきて、「イギリス兵が柔道を教えてほしいと言っている」と言った。
警察署長は、最強の柔道家で英語も出来る道上が適任と考えたのである。
少し考えてから、道上はこの依頼を引き受ける事にした。
「大男の水兵たちを投げつけて、日本人は死んじゃいないというところを見せつけてやろう」と考えていた。
そうすることによって自分自身を奮い立たせ、そういう姿を見せる事によって町の人たちも元気付けようと思ったのである。
最初は兵隊たちが宿舎にしていた「梅月」という料理屋の二階大広間で教えることになった。
柔道を習おうという兵隊たちが十数人並んで立っていた。
今風にいえばTシャツにジーパン姿だった。
「早く着替えて来い」
道上が怒ると、柔道着の着方がわからないのか、誰も着替えようとはしない。
そこで一番体格のいい兵隊から、広間の中央へ引っ張り出して投げ始めた。
数人投げ終わったところで、水兵たちは道着の着方を教えてくれと、道上に懇願するのだった。
外国人にははったりは通用しない、過去の栄光も通用しない。
現在の強さのみである。
建付けの悪い料理屋では、ドスンドスンと大男の水兵が投げられるたびに、建物自体が激しく揺れた。
そのためすぐに場所を警察の道場に移した。
翌日から水兵たちで手のすいているものが、道上の運転手を務めることになった。
もちろん車は爆弾処理用のトラック一台だった。
その間も、道上には絶えず気になっていることがあった。
言うまでもなく本間学長からお願いされた、富山にいる東亜同文書院の新入生のことである。
秋風が立ち始めた頃、道上は富山に向かった。
鉄道もおおむね復旧したと聞いていた。
しかし動いているのは主要幹線だけでそれも時間がはっきりしない。 結局東京を経由して富山に入った。
東京の惨状にはさすがの道上も衝撃を受けた。
一面の焼け野原を見て、「日本はこの先どうなるのか」という不安にかられるのだった。
次回は「大日本武徳会解散、武専廃校、東亜同文書院の閉鎖」
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。