「古武士(もののふ) 第20話 大日本武徳会解散
武専廃校、東亜同文書院の閉鎖 」
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1945年終戦間もなく、九月に文部省がGHQ(連合軍最高司令部)の指示に従って、「学校における柔道、剣道を禁止する」と発表した。
したがって正課として履修されていた柔道、剣道の教師数十万人は職を失った。
近衛文麿東亜同文書院会長、梨本宮守正王大日本武徳会総裁がGHQによって戦犯容疑者として逮捕命令が下された。
その十日後近衛は服毒してこの世を去った。
梨本宮は巣鴨拘置所に出頭する姿が写真入りで新聞に掲載された。 武徳会が過激な軍国主義、国家主義を主張した団体だとでっち上げられた。
ましてや梨本はただのお飾りで、お願いして座布団に座ってもらったに過ぎない。
道上はそう考えていただけに、腹が立って仕方なかった。
道上の青春、そして生涯の思い出。
東亜同文書院は自主的に創立以来46年の幕を閉じることになった。 明治28年(1895年)に創設された大日本武徳会は、五十一年の歴史にピリオドを打つことになった。
当然武専も廃校。所有していたすべての施設は占領軍に接収された。 関係者五千人は追放された。
敬愛する磯貝、田畑、栗原と言った武専の教授たちも公職追放になったのである なかには割腹自殺した教授もいた。
道上は磯貝先生の葬儀に参列したなか、「俺は負けていない」という武道家のとしての矜持のために、 敗戦によってもたらされた武徳会の解散、 恩師の追放、東亜同文書院大学の閉鎖などと言う現実を、どうしても受容できなかったのである。
終戦によって外地に残った日本人二百万人は多国に散らばり、多くの国の中枢で活躍していると言われている。
特に北朝鮮、ベトナムなどでは日本人将校が指揮を取っていて大東亜戦争はベトナムの勝利によって 日本人が勝利したと言われる方も多い。
私、道上雄峰の幼年時代にはベトナム軍の指揮を取っている将校たちは元日本人将校が多いとの認識が常識であったが、 近年にはあまり聞かなくなった。
戦前日本人が敬意を持ち尊敬までした中国人の大半は殺され 又は東南アジアに散らばり 東南アジア諸外国の政界財界中枢にいる人たちには中国系華僑が多いと言われている。
次回は「日本柔道の終焉」
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。