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        「古武士(もののふ) 第25 出張講習会の日々」

        ________________________________________

         

        道上は休む事も無く、出張講習会の日々が続いた。

         

        彼の人気は単に強いと言う事に留まらず、形、技の説明が 科学的かつ数学的で合理的な上、彼の真摯な態度が西洋人にはうけた。

        ただ理論のみで終わる西洋人の多い中、心技体は理論だけに留まらず 多大な練習・鍛錬が必要と言う事を身をもって教えた。

         

        ボルドーの部屋は日本流に言うと4畳半ほどの学生アパートだった。

        ベット、机、洗面台があるだけで、トイレは共同だった。

        風呂は道場のシャワーを使った。

        ボルドーには珍しく風呂屋があり、 たまにそこへ入りに行ったが、生活費は全て自前で、サンドイッチで腹ごしらえする毎日だった。

        日本を出る時に米ドルや日本円を持って行ったが、ほとんど使わなかった。

        1年間は何があろうと辛抱するつもりで覚悟を決めていたから、 金が無い事は苦にはならなかった。

        柔道連盟の依頼で南西フランス各地へ出かけるときも、旅費は出ない。

        行った先で謝礼を渡されるが、びっくりするほどの大金を払ってくれる所もあったり、 ほんの小遣い程度しか払われないところなどさまざまだったが、その大部分は ピンハネされていた。

        ピンハネしたお金はカジノ賭博で使われた。

        日本人の多くは大儲けするとカジノでやられる場合が多かった。

        それをしり目に、「しかし一年だ辛抱しよう」 こうして約束の一年は瞬く間に過ぎた。

        昭和29年(1954年)7月ちょうどフランスへ来て一年経ったとき、 フランス柔道連盟の会長のボネモリと技術部長の川石に「帰国したい」 と申し入れると、ボネモリは「みんな非常に喜んでいるので、もう少し滞在を延ばしてほしい」と言う。

        川石もフランス柔道最高顧問としてどうしても残ってほしい」と言って慰留する。

        道上は約束が違う、報酬も無しにつづける事は出来ない、と伝えたが、その頃フランス柔道連盟は混沌としていた。

        日本の講道館柔道を利用して世界柔道連盟を発足し、その地位に座ろうとしているボネモリ・フランス柔道連盟会長。

        中々のビジネス采配の出来る川石技術部長の日仏クラブ。

        日本から送られて来た講道館グループ率いるフランス講道館技術愛好者連合。

        全部で10を超える団体が存在した。

        本人が意識するとしないとに拘らず、フランス柔道界対立の構図の中に、 知らず知らず道上は組み込まれて行った。

        それらどの団体においても、戦前の本当の柔道を知っている道上は最高無二の手駒であった。

        しかも既に道上の名はヨーロッパ中轟いていた。

         

         

         

        1952年には五大陸(ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、アジア、オセアニア)を束ねる形で、 国際柔道連盟が会組された。

        まるで家元制度の様に宗家などとうそぶいている講道館は蚊帳の外にされ始めていた。

        講道館が反対する女子柔道、男女入り混じっての練習。

        各国が出す昇段審査基準。

        昇段規定などを含め柔道そのものを武道からスポーツへと本質的に変質させている事にまったく気が付かない、 そしてまったく対応しない嘉納履正はじめ講道館。

        戦後の日本は 講道館館長、全柔連会長、共に嘉納治五郎の次男で、柔道をやった事のない嘉納履正が独占していた。

        しかも柔道は戦後 一 流派の町道場に過ぎない講道館しか存在しておらず、 占領軍によって唯一存在を許され、他の武道は抹殺されたのであった。

         

        道上が日本文化がなくなる事を訴え続ける中 「本家」を自任する講道館は家元意識の上に漫然と胡坐をかいて 国際化と共に当然起こってくる問題に対処す事を怠り、柔道が日本のもので無くなることを黙殺してしまった。

        日本の文化が無くなる事を。

         

        次回は「真の柔道とは」

         

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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