2023年5月27日 ローマ
BISイタリア代表・楠本淳子
ローマも春を迎え、新緑眩しく自然の有り難みを嫌でも実感させてくれる季節になりました。何もなかった大地から何ものともわからない芽がどんどん頭を出し、知らぬ間に大地が真っ黄色に色付いたり、木々の緑がどんどん濃くなっていくのを見ると自然の中の一部として組みこまれた小さな自分を感じます。また先週のゲリラ豪雨でエミリアロマーニャ地方の5本の川が決壊、大洪水に見舞われました。人知などでは到底コントロールできない自然の力をも思い知らされます。
私は昨年の2月より東京都の神宮外苑と外苑に100年以上も生息する3000本以上の樹木たちを守るために活動しています。私は海外に居ながら、もしかして海外にいるからかもしれませんが、古代日本人の精神や生き方が好きでした。そんな精神を有する国民である事を誇りに思ってきました。かつて古人が一寸の虫にも五分の魂と詠んだように、動物たち、魚たち、一本一本の木に、そしてそこに暮らす鳥たち、虫たち、微生物などの小さな生き物たちにも生きる権利があります。それを蔑ろにし、さらに格差社会を助長するような、行き過ぎた資本主義を象徴するこの開発には一般市民を馬鹿にした、権力者、富裕層の傲慢さがまざまざと体現されています。花を手折るときに花に詫びた、宇宙の森羅万象に繋がるあの気高く美しい日本人の精神はどこに行ったのかと遺憾の念を隠せません。こういった日本人が古代から持っている徳というものは、もしかしたら人間の飽くことのない欲望の犠牲になっている自然と共に滅びているのかもしれません。
かつて世界中から称賛された日本の叡智とは、日本人の勤勉さ、正直さ、そして他者に対する尊重という徳があったからこそ、その本来の能力が十二分以上に発揮されたのであると考えます。 智慧に情や徳が加わったからこそのものです。しかしながら、今は能力や技術はあっても情も徳も足りません。愛がありません。日本が今も変わらず優れた技術を有しながらも、アジアの中で大きく遅れを取っている理由はそこにある気がしてなりません。
政府は援助という名の下に他国の経済的援助に暇がありませんが、その国の未来を据えて共に成長しましょうという共感なく、ただ金さえばら撒く日本に対する感謝や敬意がそれらの国から産まれないのは実に当然な事であり、そして日本人としては誠に残念なことです。国民の血税が、困窮するどこかの国の民を救うのではなく、砂漠に水を撒くが如く不毛に為政者の懐に消えていくことに怒りを感じます。砂漠には水を撒くのではなく、水を引かないといけないのです。
かつて中村哲先生が行なってくださったように、そこから国民が自らの暮らしを建て直し成長していけるように、命の源であり生を支える水を医療をそして教育を根付かせ、暮らしの基盤を作る援助をするべきです。一過的な経済援助など国の権力者の懐にちゃっかり収まるのがオチで、その国に安定した真の富など産みません。もっとも自国の教育の充実、子供達の健やかな生育に全く興味も払わず力も注がない我が国ですから、他国の教育に心を砕けと言うのは無理な注文かもしれません。
私は日本が真の意味でアジア諸国の国々と連携することを望んでいます。それは誰が上で誰が下と言うことではなく、互いに対等な立場でそれぞれの国の個性を生かした、それぞれが注げるものを注ぎ、足りないところを補い合い、共に国を健やかにしながら歩んでいく共同体です。しかしながら今この国を牛耳っている政治家たちにはそんなビジョンもそしてアジア各国の首脳、産業界の重鎮たちに語りかけるその話術も人徳もありません。 学生に日本語を学ぼうか、中国語にしようかと問われ、中国語にしなさいと助言する自分を寂しく思います。中国がパラダイスだと言っているのではありませんが、現在の日本は国籍や年齢そしてその人の家庭的、経済的背景を超えて本人の能力を評価し、機会が与えられる公平で開かれた土壌がありません。富や地位、職務は世襲され、それ故に日本を導くべく社会での重要な機能を果たす部署は稚拙で強欲で愚かなままです。
今、日本では入管法改悪案が物議を醸していますが、日本が世界で果たす役割とはニュートラルな姿勢で世界に向けてその門戸を開くことだと考えます。もちろん観光も大事ですが、円安だからと押しかける観光客を相手にしている限り、その類の観光によって日本が今の経済的窮地から抜け出すことは不可能です。日本にしかない稀有な文化を、その精神文化を安売りするのではなく適正な価格で誇りをもって、世界に拡めて行くことが必要だと考えます。
そのためには今政府を始め行政がこぞって行なっている自然破壊をまず止めさせないといけません。水豊かでそれ故緑深い日本の自然こそが日本の文化が育った土壌であり、それ無くして真の日本の文化は海外の人々はおろか、日本人にも語ることはできません。
皆様は医療行為を伴った観光をも提唱なさっています。とても興味深いことだと思います。 しかしながら、そんな素晴らしい事をコンクリートで作られた病院やビルの中で行なうのでは、はっきり言って興醒めです。緑深い自然の中で、新鮮な空気の中で鳥の囀りなどを聴きながら、広い空を見ながら、もはや世界中で享受することが難しくなった、まるで時間が止まったかのような平穏な時を過ごす。「何もしない時間」を楽しみ、自然と真の意味で繋がる事によって魂も精神もそして肉体も解放され癒される、そう言った「何もしない事を楽しむ観光」が浸透していくととても楽しいと思います。そうしたら日本は世界中の人たちのサンクチュアリになるでしょう。
日本に帰る度に、イライラだったり、疲れていたり、悲しかったりそう言ったの負の波動を感じます。癒されていないのだと思います。かつて社会問題にもなったブラック企業での過剰な労働が解決されたとは思えません。
魂や精神が健全で真っ当に癒されているなら、誰に強制されようが自分の健康に過剰な労働など承認しないでしょう。 精神が豊かで有れば、贅沢はしなくとも必要なものは与えられると、自分自身の能力を信じ、経営者からの無茶な労働強制など受けいれないはずだと私は考えます。自分自身は自分でしか守れません。そして自分や自分の家族以外の人を助けないのは、余裕がないからです。
人々が真の幸せを享受するためには、もちろんお金も必要ですが、癒しが必要です。お金は肉体的に栄養を与えますが、魂の栄養となるのは癒しです。そしてその癒しは自然と身近に暮らすことによって知らないうちに発動されます。
私は今東京の緑の心臓である神宮外苑を守ろうとしていますが、気づいたら東京都の自然破壊は神宮外苑に留まらず、日比谷公園、井の頭公園、葛西臨海公園、新宿御苑に至っては福島で除染された放射能汚染土が運び込まれる有様です。そして、日本全国に目をやれば、東京都で行われている自然破壊が同じように、強制的に行われています。 皆様は社会的に重要な立場にあられ、社会における影響力も大きい方々であると思います。どうか、今存亡の危機にある日本の自然をそして文化を守るべく、ご尽力をいただきたくここに改めてお願いいたします。