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        「古武士(もののふ) 第29 ヘーシンクへの指導」

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        道上の里は愛媛県の八幡浜市。

        当時命を張って海と闘う荒くれ者の漁師町だ った。

        道上の先祖はその町の大網元だった。

         

        そこでは学歴はあまり関係がなく、腕っ節の強い大男が羨まれた。 道上は身長173cmと当時としては決して小さい方ではなかったが、柔道界では大きい方ではなかった。

        ましてや人生の半分以上を海外で過ごした道上は、パワーを備えた大男が機敏かつ切れのある絶対的な強さで謙虚に存在する、 そういった西洋人を育ててみたかったのかもしれない。

         

        道上の妻小枝は164.8cmあり、当時では大女だった。

        600mの全日本チャンピオンでベルリンオリンピックの総監督として指名があったほどである。

        その大女に上海時代ハイヒールを履かせ、一緒に出掛ける事が多かったようだ。

                         

        ヘーシンクはスピードがあった。

        これは性格と情熱によるところが大きい。

        とはいっても技に切れがない、基礎体力が脆弱。

        しかしこれはどうにかなる 素直さを持ち合わせているからだ。 技は一本槍 これも素晴らしい。

         

        晩年道上は、フランス人はどうしても頭から入る者が多く、オランダ人は一つの事を教えるとずうっとやめろと言うまでやり続ける者が多かったと言っている 道上の信条でもある心技体をオランダ人の方が受け止めやすかったのかもしれない。

         

        ヘーシンクは道上に「家に招待したいが貧しく、狭いところに住んでいるので先生を招待できません」と詫びるような青年だった。 道上は「そんなことは心配するな みんなそういう時代があるのだから」といって慰めるのだった。

        日本人の道上に対しては、とくに遠慮がちであった。

        道上はつとめて近づいて打ち解けようとするのだが、 道上の顔を見ただけで緊張のあまり顔をこわばらせる。

        道上も最初はヘーシンクのこんな態度を扱いかねた。

         

        ヨーロッパで柔道が急速に普及していった背景には、大雑把に言って小さい者が大きな者を倒せるという神秘性、それに護身術という実利性、 更にこれがもっとも大きな理由だが、柔道の「道」の中に騎士道や禅に通じる精神性が注目されたということがあると思う ヨーロッパはまだまだ階級社会だったのである。

         

        そんな中で貧乏なヘーシンクが強くなれば、より多くの青年に希望と勇気を与え、 柔道人口は一気に増えるに違いないと道上は考えた。

         

        「一丸となって優秀な選手を育てよう それには彼が最も適任だ

        わたしは本物の柔道をオランダの選手に教えたいのだ」

        オランダ柔道連盟幹部を説き続け、この方針が受け入れられなければオランダから引き揚げる、とまでいって説得を続けた。

        ヘーシンクを酷評し続けていた幹部も、道上の強硬方針を容れて徐々に協力的になっていった。

        以来、道上はヘーシンクを本気で鍛えるようになった。

         

        ヘーシンクは道上の見るところ、荒削りだが攻撃力が有った。

        そして何より、強くなってやろうという旺盛な闘争心を内に秘めていた。

        闘争心の源は、貧しさから抜け出そうとするハングリー精神のように思えた。

         

        教え始めてみると、ヘーシンクは道上の教えなら何でもしたがう、いたって素直な弟子だった。

        「柔道の練習はもちろんだけれども身体づくり一つにしても、何か始めるときには必ず私の承諾を求めてから実行する、 という素直さが素晴らしいと思った」 と道上は振り返って言う。

         

        道上がオランダを訪れるのは2カ月に一度。

        行った時は20日間みっちり指導するのが通例だった。

        これは他の諸国から、特にフランスからは多大な妬みを買うこととなる。

         

        ヘーシンクは貧しいため、毎日34kmの道のりを自転車で通う生活だったが、少しお金が出来ても脚力鍛練の為、道上は彼に自転車で通わせた。

        そんな中で道上はまず力を入れたのがランニングだった。

        ひたすら走るのではなく、緩急をつけたインターバル走法がとり入れられた。 (これは高知高校教師時代弟の武幸を鍛えた時に使った手法)

         

        また、サッカーをすることによって反射運動に適応させ、足関節を鍛えた。

        125kgのダンベルを瞬時に持ち上げる練習、 これを左右に勢いよく振って相手の崩しの練習をするなど、ウエイトトレーニングでひ弱だった彼の基礎体力作りを始めた。

        バーベル、ダンベル、エキスパンダーなどを使って基礎体力の養成と引手の練習を兼ねた。

        さらに道場に鉄棒をわたし それに顎を引っかけて首の筋肉を鍛えた。

        レスリングを取り入れ、水泳をするなど、 あらゆることをして頑強な身体を作り上げていった。

        こういった訓練法は当時にはなかった。

        いかに武専と言うところが科学的かつ人体の学びが有ったかであり、柔軟な発想力を学ばせる土壌があったかである。

         

        「彼は日曜日になるとほとんど友人や弟子たちと山に登り、切り倒された大木をころがしたり、ボールを蹴り合ったりしながら新鮮な空気を吸い、 体力作りと雑念を遠ざけ、週が明けると再び俗界に戻るということを繰り返してきた。

        武専時代を彷彿とさせる。

         

        道上の指導は瞬く間にヘーシンクを強く、逞しく変えていった

         

         

        次回は「頭角を現し始めたヘーシンク」

         

         

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

         

         

        制作協力企業

        • ACデザイン
        • 日本クラシックソムリエ協会
        • グランソールインターナショナル
        • 草隆社
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