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        2023年6月24日 

        話のタネ

                             

        「パーパス」        元国連事務次長・赤坂清隆

         

        前略、

        お気づきになられたでしょうか?最近、「パーパス」という言葉が、企業や組織の経営に関して、ひんぱんに使われるようになっています。今回は、これを「話のタネ」に取り上げてみたいと思います。

         

        「パーパス」とは、目的とか意図の英語(purpose)です。

        さるコンサルティング会社の調査では、日本の上場企業約

        3,800社のうち、すでに215社が「パーパス」を策定している模様です。企業や組織に属するメンバーが、「何の目的のために存在するのか」を見つめ直し、社会との関係をあらためて「パーパス」として策定し、発信する動きが高まっているようです。私なども、歳を重ねるにつけ、「何のために生きているのか」と、残る人生のパーパスを自問する日々が多くなりました。

         

        最近までは、ミッション(使命、理念)とかヴィジョン(未来像)という言葉が主流でした。国連や他の国際機関でもそうですし、私が勤務した財団法人でも、ミッションと行動指針作りをまずやりました。「自分たちは何のために生きているのか、あるいは、この組織で働いているのか」を問うのが、使命観であり、理念ですね。そして、「これから何をしようとして、どのような将来を描いているのか」を問うのが、

        ヴィジョンです。ただ、これらは、遠い将来を見据えて、

        かなり抽象的な言葉になるのが一般的で、日々のモーチベーションを高め、目の前の現実に対処するための力としては、もう一つというのが難点です。

        この点、「パーパス」というのは、個人や組織の社会的な

        存在意義を明らかにし、いかに社会に貢献するかを明確にする点で、焦点がよりはっきりするような印象がします。

        それだからこそ、中小企業などの間で、「パーパス経営」といった経営方針が注目を浴びているのでしょう。

        パーパス・ステートメントのキーワードとしては、

        「社会」「貢献」「豊か」「未来」「創造」といったものが多いようです。会社の場合、社員にとっても、ミッションやヴィジョンを自覚するよりは、会社のパーパスを知るほうが、日々の仕事につながるのではないでしょうか?

        すでに2016年、アメリカのLinkedInが、3千人のビジネスマンを対象に行った調査でも、約半数が「パーパス経営の会社で働けるなら、給与は下がってもいい」と答えているとのことです。

         

        最近の読売新聞の「人生案内」欄に、あらゆる物事には

        目的(パーパス)があると唱えた古代ギリシャの哲学者

        アリストテレスの言葉が紹介されています(2023年6月21日付)。彼は、世界一のフルートを所有すべきなのは、

        王様や愛好家ではなく、最高のフルート奏者だと言ったそうです。なぜなら、いい音を出すことこそがフルートのパーパスだからです。

         

        こうしてみると、世の中には、パーパスを忘れたと思われるような出来事がいっぱいですね。例えば、他人の目を気にして、まだマスクを外さない人がかなり多いと見受けられます。マスクのパーパスを忘れているのですね。

        また、横断歩道の赤信号。あのパーパスは、横断する歩行者の安全ということですから、そのパーパスに照らして、

        自分の目で見て確実に安全なら、赤信号でも渡って大丈夫ですよね。ロンドンでも、ニューヨークでも、サンパウロなどでも、みなそうします。それなのに、日本では、「ルールだから」という理由だけで、信号を厳格に守る人が大半です。

        信号無視を繰り返すわたしなど、いつも警官に叱られています。

         

        ニューヨークの国連本部の広報局で働いていた時分、同局の職員の過半数が女性でした。オフィスに、スカートをはいて出勤する人は少なく、化粧もしない、すっぴんと思える

        女性がほとんどであることに気づきました。

        「ははーん、職場での男女平等、女性のエンパワーメントというのは、このようなことから始まるのか」とえらく感心したことを覚えています。しかし、彼女たちも、パーティーや私的なデートなどでは、きれいに着飾り、厚化粧をしていたようです。パーパスをわきまえての行動だったのでしょうね。

         

        最近のニュースによれば、オーストラリアやニュージーランドの航空会社では、客室乗務員の身だしなみ規定を緩和する動きが広がっているとのことです。ヒールの着用や化粧するかどうかも本人の自由で、男性が化粧をしてもいいようです。この動きのパーパスは、働きやすい環境を整えて、最近ますます難しくなった人材確保やつなぎ止めにあるようです。女性客室乗務員の超ミニスカートが魅力で航空会社を選ぶ客というのは少なくなったでしょうから、身だしなみ規定のパーパスを、航空サービスの需要サイドではなく、供給サイドに置き換えた新しい、注目される動きですね。

         

        ニッポンドットコムの今年3月27日付の記事「女子もスラックスを選べる時代に:学校ファッションに変化の波-寒さ対策からジェンダーレス配慮へ」は、女子のスラックス新規採用校が、日本の中学校や高校で最近急増しているニュースを伝えています(https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01630/?cx_recs_click=true)。岡山市のカンコー学生服のスラックス新規採用校は、従来の数十校から、2023年度は832校へと激増しています。スカートとスラックス、リボンとネクタイを自由に選べるようにするなど、性別による固定化を排除する学校がここ数年で急速に増えているようです。軽快さや、ジェンダーレス、性的少数者への配慮などのパーパスを考慮に入れた、新しい動きと言えるでしょう。

         

        前置きが長くなりましたが、先般、関西学院大学のお招きを受けて、「グローバル・コミュニケーションのパーパスと原則」と題して、講義をしてまいりました。その際に使いましたパワーポイント(英文)の容量は、約16KBとかなり大きいものですから、前回同様、省略させていただきます。ご要望があって受領可能であれば送らせていただきますので、ご遠慮なくお知らせください。

        国連の広報のパーパスは、いうまでもなく、国連の目的と活動への世界からの支援を得るために、客観的で、公平な情報を流すことにあります。インフォームし、人々を感動させ(インスパイヤー)、行動につなげる、というのがミッションでした。国連は、世界の平和と安全、経済社会の発展、人権の擁護、地球環境の保護のために、様々な活動に従事しています。その活動に際し、特定の国や国々に偏った広報を行うことは、国連の主人たる加盟国が許しません。ですから、

        国連事務局には、細心の注意と、タクティクスが求められます。

         

        わたしの講義では、国連での広報で直面した困難な問題として、いくつかの具体的ケースを示しました。

        ひとつは、中国の民主化の政治運動家の作家で、投獄中の劉暁波に対する2010年のノーベル平和賞授与です。このニュースを受けて、バンキムン国連事務総長のステートメントを発出することになりました。この場合、ステートメントを出すパーパスは、ノーベル平和賞受賞への国連からの祝意を表明することですが、中国政府を怒らせない形で行う必要がありました。中国政府にたてつく政治運動家のノーベル賞受賞を一方的に祝って、単純に、「おめでとうございます。

        やりましたね!」というわけにはいきません。

        そんなことをして、中国政府を怒らせると、バン事務総長の再選の芽が摘まれてしまう恐れがありました。国連安保理の常任理事国たる中国は、国連事務総長の選任に関して拒否権を持っています。

         

        それで、事務局内で、法律顧問などのアドバイスを受けて、すったもんだの挙句、「ノーベル平和賞が劉暁波氏に与えられたことは、世界中で人権の実践と改善に向けた国際的合意が広まっていることを認めるものです」云々という、奥歯に物が挟まったような表現になりました。

        そして、「長年にわたり、中国は目覚ましい経済的発展を達成し、数百万人を貧困から救い出し、政治的参加を広げ、人権の原則と実践についての国際的な主流に着実に加わってきました」という中国政府へのリップサービスもちゃっかりと加えられました。結局、中国政府からは、何の反応もありませんでした。

         

        二つ目の例は、第二次イラク戦争に関するコフィー・アナン国連事務総長のコメントです。2004年9月に、BBCが「コフィー・アナン国連事務総長が、イラク戦争は国連憲章違反と認めた」と大きく報じました。この発言によって、

        国連、特にコフィー・アナン事務総長とアメリカ政府との関係が一挙に、決定的に悪化する結果となりました。

        アナン事務総長には、国連事務局の法律顧問から、「イラク戦争は国連憲章違反」(illegal)というのではなく、「憲章には合致していない」(not in conformity with) と答えるようにとのアドバイスが行われていました。

        前者であれば、クロですが、後者の場合は、シロではないというものですから、解釈によっては合法と認める灰色解釈の余地を残しています。それなのに、アナン事務総長は、

        パーパスを考えずに、BBC記者のしつこい追及に押されて

        クロですと認めてしまったものですから、

        明らかに彼のチョンボでした。

        バンキムン国連事務総長は、イラク戦争の合法性にについての記者からの質問には、徹底的に逃げの姿勢で、コメントすることを避けました。賢明な対応だったと思います。

         

        この点、昨年2月のロシアによるウクライナ侵略の際は、アントニオ・グテレス国連事務総長は、同侵略は、「国連憲章の原則とは相いれない」(inconsistent )と表明して、

        明白にクロだと言い切りました。ロシアが、国連憲章が認める集団的自衛権の行使だと言っているときに、真っ向からそれを否定する発言でした。

        それは、ウクライナや西側諸国からは歓迎される明解な態度でしたが、ロシアとの間では、事務総長が仲介役を務める

        可能性を著しく狭める発言でした。

        前述のコフィー・アナン事務総長の舌禍事件を思い起こせば、正義感にかられた発言であったにせよ、そのパーパスが十分考慮されていない発言だったといえるかもしれません。

        案の定、国連事務総長には仲介役の役割が回ってきていません。

         

        三つ目の例は、第一次大戦中にアルメニアでトルコによるジェノサイドがあったかどうかの論争です。

        アルメニアは、ジェノサイドがあったと主張しているのですが、それを認めれば、ジェノサイドを否定しているトルコの反発を招きます。

        2007年、国連広報局に勤務を始めてまだ一週間ぐらいしかたっていないときに、わたしはその論争に巻き込まれ、

        双方から攻め立てられるという、ひどい目にあいました。

        このような難問の場合には、前述のバン事務総長のように、「君子危うきに近寄らず」か、「三十六計逃げるにしかず」とばかり、かかずらわないことが最良の策と学びました。

        現在の中国の新疆ウイグル自治区におけるジェノサイド問題などについても、自らの立場を表明する場合には、

        そのパーパスを十分見極めてから行うのが大事でしょう。

         

        このような事例は、特定の国におもねず、へつらわず、

        真実を語ることがいかに難しいかを如実に示しています。

        ことわざに言うとおり、「悪魔は細部に宿る」(The devil is in the details)です。

        細部に入れば入るほど、問題は複雑化し、迷路が更なる迷路を呼び、にっちもさっちもいかなくなるというのは、誰しもが経験していることでしょう。

        そういう時にはどうすればよいのでしょうか?

        やはり、もともとのパーパスに戻ることなのでしょうね。

        何を目的に、このような行動をとろうとしているのかという、原点に戻るのが良いのではないでしょうか。

        「パーパス」、「パーパス」と何度かお経のように唱えてみるのが良いかもしれません。そういう意味で、「パーパス」は、悪魔から私たちを救ってくれるありがたいおまじないかもしれません。(了)

         

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