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        「古武士(もののふ) 第33 世界選手権」

        ________________________________________

        オランダ選手は第三回世界選手権大会に向けて強化合宿をボルドーの道上道場で行った。道上もいつも以上に気合が入っていた。

         

        乱取りの最中ヘーシンクは何度も宙を舞った。

        道上は西洋人の足腰の弱さを徹底的に攻めた。

        これを見ていた道場の弟子たちの「先生は何故選手権に出場しないのか」との問いにフランス人弟子のクリスチァン・ド・ソールは「先生は有名になるために柔道をやっているのではない。

        武道を広めるためにやっているのだから役割が違う」と答えた。

         

        クリスチァン・ド・ソールは170数センチで道上とたいして身長体重は変わらなかった。

        ただヘーシンクは一度も彼にかなわなかった。

        一番得意としている寝技においてもだった。

        しかし彼クリスチァン・ド・ソールは一度も世界大会に出場する事は無かった。

        有名になるために柔道をやっていたのではない。現在も三段のままだ。

         

        大会前日の1961年12月1日の深夜、道上は眠れない夜を過ごした。

        すでにこの時在欧8年、妻子も顧みず、言葉も通じない異文化の中で、全力を尽くして偏見と闘ってきた苦しい日々が思い起こされた。

        在欧8年のうちヘーシンクを育てて6年、全力を尽くしてきた日々がヘーシンクの戦いに集約されようとしている。

        年齢もいつの間にか五十近くになっていた。

        もし勝運がなければ、潔く欧州アフリカの柔道界から身を引こう。

        さらには、長い柔道生命も自ら断とう。

        そう決心してようやく眠りに就くことができた。

        翌日の朝、突然電話のベルが鳴って、ヘーシンクの怒りに上ずった声が道上の耳を打った。

        「先生、神永五段が出場すると発表されました。・・・しかも、自分は三回戦で彼と戦わなければならないことになっている。

        日本はまったく紳士的ではない。

        試合当日になって変更するなんてけしからんことです。」

         

        ヘーシンクは、当時日本最強の神永五段が出場することに、明らかに動揺していた。

        神永は負傷のため欠場、と発表されていたのだ。

        だが道上はこのことをすでに知っていた。

        神永五段は試合当日になって出場することになった、と当日の朝刊が伝えていたからである。

        道上はすぐにヘーシンクの部屋へ行き、興奮する彼に静かに言った。

         

        「世界選手権者はいついかなる時、いかなる強豪に挑戦されようと、常に受けて立つ心構えがなければならない。

        僕は君を、久しい前から世界選手権者であると思い、その実力も十分あると思ってきた。

        それがこのうろたえようとはどうしたことだ。

         

        神永選手が出場しなくて優勝したとしても、神永選手が出場していたらどうだったか、という声が必ず起こる。

        昨日会った日本人柔道家は、今年の選手権は神永がいただきます、と僕に言っていた。

         

        彼らは未だ君の実力を知らない。

        君は勝ったも同然なのだ。

        しかし今のようなうろたえ方を見ると、僕は残念でならない。

        神永五段が出ようが、鬼が出ようが、君は必ず勝てる。

        落ち着いて堂々と、選手権者になろう」

         

        うつむいて聞いていたヘーシンクは、顔を上げると即座に言った。

         

        「先生、必ず選手権者になります。今日は私のそばから離れないでいてください。先生が離れていると、どうしてか興奮して心細くなるのです」

         

        「よくわかった。なにがあっても離れないから、安心して心静かに実力を十分に発揮しよう」

        師弟はホテルの一室で誓いを新たにして、試合場に向かった。

         

        試合でヘーシンクは圧倒的強さで勝ち進んだ。

        神永五段、古賀四段をあっさり破り、優勝戦で曾根六段と戦う直前、「先生優勝しますから、そのときには試合場へ上がってください。お礼を申し上げたいから。」と道上に言って決戦の場へ臨んだ。

        道上は柔道家としてこの日まで約25年、こんな嬉しい言葉は聞いたことがなかった。

         

        決勝戦では開始から6分過ぎ、ヘーシンクの大外刈りに曾根がゆっくり横転、すかさず寝技に入ったが場外で分かれた。この大外刈りを主審ベルチェは「技あり」としたが、二人の副審はこれを取り消した。

        開始から7分50秒、曾根六段を抑え込んで三十秒のベルが鳴り、ヘーシンクは世界選手権者になった。審判の「一本」という宣告が聞こえたとたん、道上の身体はオランダ選手、役員、応援に来ていたオランダ人たちに抱きかかえられ、一メートル半の高さの試合場へ押し上げられた。

         

        すぐにヘーシンクが駆け寄ってきた。

        そして静かに道上の前に立ち、手を握り絞めた。かすかに手が震えていた。激闘の余韻だったろうか。道上は今、この瞬間退廃に向かう日本柔道界への歯止めになるか・・、ヘーシンクとは別の思いを実感していた。

         

        しかし日本柔道が本来の柔道に敗れた直後、醍醐敏郎は次のように書いている。

        <身長1メートル98センチ、体重120キロというヘーシンクの腕力に、日本の技が敗れたのだ――という意見をよく世間で聞く。もし、それが正しいとする ならば、今後、体質的にいって日本人は欧米人に圧倒されつづけることになる。>

         

        多くの日本柔道家は弁解として力で負けたと言い続けたが、道上にとって体格と体力を混同する日本柔道界のあさはかさは驚くに足りなかった。

        日本ではヘーシンクの先生としてしか道上の名前は出てこない。

        しかし道上はすでにフランスでは知らない者はいないほどの有名人だった。

        ヨーロッパでもっとも有名な日本人だった。

        ヨーロッパ、アフリカおよびアメリカでは、道上がヘーシンクを有名にしたのであって、日本で言われているようにあたかもヘーシンクがたまたま道上を有名にした、とされているのは井戸の中の蛙である。

        いや、故意にそうしたのである。

         

        その翌朝日本のラジオでヘーシンクが世界選手権を制覇した報道が流れた。

        愛媛県八幡浜市裁判所前に住んでいた道上小枝(女房)は飛び上がって喜んだ。

        それを見ていた幼い雄峰は母がなぜ喜んでいるのかが分からなかった。

         

        次回は番外編「講道館柔道への爆弾宣言」

         

         

         

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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