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        「古武士(もののふ) 第37話 家族をフランスへ」

        2014年10月31日

        ――――――――――――――――――――――――――

        オリンピックは終わった。

        戦争の敗戦国となったことによってGHQに潰された武徳会。

        公職追放により腹を切った武専教師。

        彼らの思いは・・・・。

        最近柔道の色々な問題を耳にするにつけ、落胆された方も多いと思うが、柔道を愛する人間として同じ思いだったのではないだろうか。

         

        1964年、日本柔道界の落胆ぶりをよそに、西洋人がオリンピック無差別級で優勝したことにより、 海外では柔道の広まりに拍車がかった。

        まさにエポックメーキングであった。

         

        ヨーロッパでは各国が国を挙げて柔道を奨励した。

        フランスなどでは保育所代わりに、子供に柔道を習わせる親もいた。

        しかも教育上、健康上を考えるとストリート・チルドレンなどもやっている サッカーなどとは差別化が図られると考えられた。

         

        当時の西洋人は

        「昔は良かった。教育がしっかりしていた。」 「人間に道徳観が有った。品位があった」

        などと嘆く輩が多かったので、礼を重んじる柔道はまさにうってつけであった。

        そしてフランスでは第2のスポーツ人口となった。

         

        そんな中、道上が指導に多く時間を注いだ国が強くなると、えこひいきではないかと他の国、特にフランスから妬まれる。 逆恨みのように、フランス柔道界は道上をフランスから排除しようとの方向に動いた。 例えば、身に覚えのない査察が突然入り、法外な税を要求されたりした。

         

        他の多くの国も日本へ新たな指導者を求め動いた。

        しかし帰国した彼ら曰く 「日本にはもうすぐれた指導者はいない」だった。

        「終戦によって金儲けに段を発行する町道場もどきは有っても、

        本当の柔道を教えることのできるすぐれた指導者はもう日本にはいない」と。

        これには多くのヨーロッパ人も驚いた。

        道上を見て育った柔道家達は日本へ行けば道上の様な優れた指導者がごろごろいると思い込んでいたからだ。

        このようなことがあって、さらに道上要請に拍車がかかった。

        道上はボルドーの道場、そして毎年行うボルドーの夏期講習(1週間)に、多くの有段者が参加することを許可した。 それでも足りないということで道上はフランス人の弟子を各国に最高技術顧問として送りこんだ。

        外地にいる身で柔道の政治的動きは一切しなかった道上。

        ただひたすら柔道の発展のみに情熱を注いだ道上だった。

        道上はこのオリンピックの前に家族をパリに呼んだ。

         

         

        長女三保子はアメリカ・カリフオルニア大学バークレイ校の大学院へ留学したので、 女房小枝、次女志摩子、長男雄峰の3人である。

         

        船便でマルセイユに到着した3人は弟子の税関長の計らいによって税関も通らず、 待っていた道上の自動車に乗り、途中ルレ・シャトー(城を改装したホテル・レストラン)を転々としながら3日かけてパリに到着した。

         

        道上伯の家はパリ、ボルドー、そして飛行機の中だった。

        相変わらず忙しく海外出張の多い日々だった。

        ヨーロッパは社会主義国を除くすべての国、アフリカ全土、 さらにアメリカ マルテイニック、グアデループと島々まで飛び回った。

        ほぼ毎月テレビ・レポーターに追っかけられ、テレビニュースに、あれこれ放映される始末だった。

         

        柔道がJUDOとして目まぐるしく発展を遂げる中、何としても正しい道筋をつけなければ、たとえ自分一人になったとしても、との思いで、単身赴任だった道上はヨーロッパにしっかり根を下ろし、腰を据えて行く覚悟の元、在欧10年を超えたところで家族を呼ぶ決心をしたのだった。

         

        次回は「パリ郊外の一軒家」

         

         

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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