2023年8月13日
「これからどうする?」
田中優子・前法政大学総長・週刊金曜日編集委員
差別を許さない
東京新聞』に「時代を読む」というコラムを持っている。
そこで7月9日、「差別増進法施行」という文章を書いた。
LGBT理解増進法のことである。
これが差別を助長する法律であることは、すでに多くの人々が指摘している。
LGBTQのことだけではなく、差別というものすべてについて深く考えていきたいと思いながら書いた。
「人権」とは言葉だけではない。無数のDNAや細菌や細胞で出来上がり日々細胞分裂を行ないながら変化し続けている有機的な
「生き物」としての人間が、この社会の中でさまざまなことに
耐え、あるいは折り合いをつけながら「生きていく」権利のことである。
個人は多様で変化し続ける生々しい塊だ。自分についても完璧にはわからない。
ましてや他人の全体は計り知れない。一人として同じ人間はいない。唯一無二なのだ。
しかしその唯一無二の個体が生きていくために作った社会の仕組みは、区別しがたい個体を仕方なく、便宜的に区別している。
性別も民族も国境もそういうものだ。
国境は人為的に変化する。言語や民族文化や宗教は混交して変わっていく。
「人種」は昨今では、生物学的な実態がない、と言われている。
一つの種が世界中に散らばり、環境適応で変化した痕跡にすぎないからだ。
性別も、あらゆる生物がオスとメス以外の個体をもっている。
人間もキリスト教圏以外では、古代ギリシャにレスボス島の
歴史や少年愛があり、江戸時代までの日本に衆道があったように、抑圧されなければ自然に、個々の特性を表現していた。
一個の個体は多様な要素が複雑に関わりながら出現している。その事実を踏まえると、そこから性別や出自や欠損をわざわざ取り出して攻撃しあるいは消費するのは、時間の無駄である。
なぜそんなことをするのか。それは「勝つため」であろう。
まずは殺人と戦争だ。それをより狭い社会で行なのが差別とヘイトスピーチ、ヘイトクライムだ。根は同じである。
女性差別、性的少数者差別、部落差別、外国人差別、障害者差別は、区別して考える必要はない。
すべて同じ動機から生まれるからである。
「差別したい人」は仲間(と思っている集団)が生きるために、
また一瞬の優越感を手に入れるために、あらゆる差別をする。
そういう社会を乗り越えるためには、殺人が罰せられるのと同じ
ように、差別した者は罰せられる法律が必要なのである。
国家の権力者が差別を容認する国では、国民は差別が認められていると感じる。
「無意識の偏見」を意識
国家による差別の容認は、差別を統治の道具にするためである。たとえば、階級によって互いの埒を超えないようにする。
植民地政策のために被植民地の人々への差別感を醸成する。
経済効率のために障害者に忍従を強いる。
そして、女性差別とLGBTQ差別によって「家族」の型を守り、
さらに家父長制によって家族の成員間に力の差を作る。
ついでに差別される人々を安価なあるいは無償の労働力として使う。
ここに並べたことは過去の歴史を含んでいるが、しかし被植民地の人々への差別感は植民地がなくなった今でも、
アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)として社会に蔓延している。無意識は、意識することによって乗り越えねばならない。
ではどうすればよいのか。
まず「学ぶ」ことだ。そして社会が「差別を許さない」ことだ。
そして最も必要なのは、差別された当事者が声を上げることである。
しかし外国人とくに難民にはその道がない。
入管法の一番の問題は、外国人や難民を受け入れるか否かを出入国在留管理庁、つまり行政だけで決めていることだ。
難民研究フォーラムのホームページで「各国における難民認定機関」を表にしているが、「一次審査が政府から独立している」
「不服申し立ての審査機関が一次審査と異なる組織」の二つの指標で印をつけている。
日本はどちらにも印がない。
まず政府からの独立審査機関と、不服申立て機関の二つを作ることが必須だ。
「声を上げる」ことについては、次回に書きたい。