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        古武士(もののふ)第39 厳しいフランスでの暮らし

        ________________________________________

         

        フランスで生活を始めた家族は道上がいかにこの国で数多くの苦労をしてきたかを思い知った。

        外国人にとってフランスの暮らしは大変厳しい環境であった。

        同胞を避ける日本人も少なくなかった。

         

        挙句の果ては生活苦によって多くの在仏日本人が他の日本人に対して詐欺まがいのことをやっていた。

        日本では終戦と言うが、外国人にとって日本は単なる敗戦国であることを知った。

         

        愚息も日本人であることをやたら馬鹿にされ、その悔しさの持っていき場所がなく、よく喧嘩をしていた。

        ついにパリに居られなくなり、ボルドー地方に下宿して学校へ通うようになった。

         

        ある日道上に連れられて愚息はピーガールというモンマルトルの丘に近い治安の悪そうな場所に連れて行かれた事がある。

        地下を降りて行くと暗い湿気の多いバーだった。

        道上が一杯飲み終わった頃に日本人の女性が着物姿で番傘をかざし、さくら♪さくら♪と歌い始めた。

        愚息はいやでいやでたまらなかった。

        お父さん早く出ようと言ったが、道上は無言のままだった。

        歌い終わった時、ベレー帽に客から小銭を入れてもらっていた。

        その時初めて道上は愚息に帰ろう、と言った。

        その女性は後にフランスでシャンソンを歌っていた第一人者として日本で表彰された。

         

        女房小枝は池坊のヨーロッパ支部長としてお花を教える傍らサロン・ドトーヌ(絵書きの登竜門)の審査員をやっていた。

         

         

         

        ルーブル博物館などの展示室にお花を活けたり、多くのスティリストのウインドゥをお花で飾っていた。

        (後1980年代朝日カルチャーなどでフランスブーケを教え広める)

         

        そんなある日有名なオートクチュールのファッションショーに招待された。

         

        ある有名な日本のデザイナーはプレスの腕章をつけパシャパシャとショウの服の写真を撮っていた。

        日本でコピーする為、である。

        その女性が日本のファッション界の第一人者だった。

         

        愚息がパリの小学校1年に入った時、学校の教科書の世界地図に日本は載っていなかった。

        やっと日本が入っている教科書を手にしたとき唖然とした。

        そこには富士山、芸者、人力車しか載っていなかった。

        日本国は存在しないのである。

        日本大使館に姉と文句を言いに行ったが笑い飛ばされただけだった。

         

        長年にわたってフランスから日本への送金が出来なかった。

        フランスに来ていた画家たちは食べて行くことができず、日本からの仕送りに頼っていた。

        だが日本からフランスに送金する事も難しかった。

        道上は彼ら画家たちにパリでお金を渡し、日本の彼らの家族から愛媛の道上の家族に仕送りをするという方法をとっていた。

         

        家族は道上の苦労を日に日に感じ取っていた。

        だが一つの疑問は何故ここまでしてフランスに居続けなければいけなかったのか。

        愛媛県の八幡浜では、道上は花の都パリに住み、左団扇でフランスでの悠々自適な暮らしぶりを想像していた。

        しかも妬まれ、ある事無い事噂にされた。

        当時日本は貧しく、海外へ行って成功した人たちのみが目立ち、彼らの現地での苦労はあまり見えてこなかった。

         

        パリのキャフェでのんびり座っていると、くたびれたスーツにカメラを2個も3個も肩からぶら下げた日本人をよく目にする。

        しかもそれらの中年男が膝を曲げてくたびれた姿で歩いていた。 こんな光景は珍しくもなんともない、当たり前の光景だった。

        道上は残念そうな表情を浮かべ、愚息は恥ずかしそうにしていた。

         

        当時日本ではモードとかファッションという言葉を使うと嫌われた。

        お洒落をするということが生活に密着しておらず、自己表現するためだけではなく、 マナーでもあるということが生活習慣にはなかった。

         

        そんな中で道上は唯一おしゃれな日本人であった。

        しかもフランス人以上に。

        指導者たるものは清潔で輝いていなければ何の説得力も無い。

        ましてやファッションにうるさいフランスでは馬鹿にされる。

        1980年代、ミラノで一番お洒落な日本人と言われた愚息をもってして、あれほどお洒落な人を見たことがない、と言わしめた。

         

        シャツはオランダのボイル、スーツはロンドンで購入の生地をパリオペラ座で裁断し、ボルドーで仕立てていた。

        三つ揃いとコートは同じ生地で作られ、靴はアンドール(フランスとスペインの国境ピレネ山脈にある小国)でイギリス製とフランス製。

        ライターはデユポン、時計は金無垢K18のオメガ、万年筆はパーカーとモンブランで揃えていた。

         

         

        一日に何回も着替える事すらあった。

        ある昼食時、ステーキを食べていた愚息がソースを飛ばした。

        そのソースが道上の白いワイシャツに付いた。 道上はそのシャツをすぐに脱ぎそのソースの部分を洗い、ハンガーにつるしてから新しいシャツに着替えた。

         

        よく弟子たちの間では先生はどこの洗濯屋を使っているのだろうと話題になっていた。

        しわ一つなく、常に下ろしたてのようであったからだ。

        道上は洋服を洗濯屋に出したことは無く、全て手洗いで当然自分でアイロンがけもやっていた。

        靴は買ったあと靴墨を塗って一週間陰干しをした後に履いていた。

        履いた後は必ず丁寧に磨きの処理をしていた。

        たんすにはいつ停電になっても何がどこにあるか分かるように、それはまるで洋服屋さんの棚の様にきちんと整理整頓されていた。

         

        いつどんな事態になろうと恥じる事なく、完璧なまで準備されていた。

        いつ何が起きても・・・。

         

         

         

         

         

         

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

        制作協力企業

        • ACデザイン
        • 日本クラシックソムリエ協会
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