私たちは今何処にいるのだろうか (講演メモ)
ー時の目と鳥の目で見る視点―
明治維新、戦後改革に続く 第3の開国に直面する日本
(2023年10月20日) 井出亜夫
1 日本社会の近代化―明治維新(1868年)と明治国家体制についての評価
①1871年岩倉使節団の米欧訪問(廃藩置県後明治4年)
・産業革命の実情把握と近代国家・社会の形成を目指して600余日12か国歴訪
⓶殖産興業、近代的インフラ整備では大きな成果を挙げる (注)身近な所では中込学校の開設
③しかし、民権の拡張よりも藩閥政治と軍国の形成に走る、(自由民権運動の挫折)
(注)中江兆民の佐久遊説「民重きを為す」揮毫
④福沢諭吉(封建制の廃止による明治維新の革新性は評価するも藩閥政治への参画は拒否)
渋沢栄一(大蔵官僚を辞任、殖産興業にまい進、「論語と算盤」を唱える)
⑤日露戦争(1904年~1905年)後の日本
・中国人を中心に多数のアジアの人々が自国の近代化を目指して日本へ留学、しかし日本は彼らの期待に反する対応
・朝河貫一の警告「日本の禍機…日露戦争後の日本は世界の大勢から外れる」、夏目漱石…明治社会の脆弱性を懸念「日本は滅びるね…三四郎」「現代日本の開化…内的発展でなく外からの刺激に対応、その社会観察は群を抜く)
➅日韓併合(1910年)と対華21か条の要求(1915年)(アジア民族運動に無理解、孫文の批判1923年於神戸「日本は欧米列強の走狗となるのかアジアの王道の開拓者となるのか、それは日本人自身の選択だ」)
- 満州事変(1931年)、日中戦争(1937年)、太平洋戦争(1941年)
⑧石橋湛山大日本主義の否定と小日本主義の主張、1945年8月末日…東洋経済論説「再生日本は前途揚々たり」国民茫然自失の中戦後日本を予見
⑨大正デモクラシー、国際協調主義の挫折(2.26事件、5.15事件)(原敬、浜口雄幸、犬養毅、高橋是清等の暗殺)
⓾ご箇条のご誓文は何故実現されなかったか
2 戦後改革
- 平和憲法制定(1796年カントの「世界永遠平和」立憲共和国連合による常備軍の廃止、「不戦条約1928年」等の系譜)(注)米軍押し付け憲法の説は当らない
- 農地解放、財閥解体、労働基本権の確立等民主主義諸制度の導入
(注)農地解放による戦後農村の発展をみよ、問題はその後の農業政策・土地政策にあり,これが出来ないフィリピンの事例をみよう
(注)戦争で父親を失い、母親一人で育てられる級友を身近に持つ、同様に満州引揚の友人も、戦争は昨日の一大惨事
- 経済発展と二重構造(先進国と後進国の同居)の解消(1957年経済白書 戦後回復の時代は終了した)
(注)1960年ローマ・オリンピック(高校2年時)、中進国たる日本を如何に先進国にするかこれが新世代の役割
- OECD加盟(1964年、67年資本自由化義務)、GATTケネディラウンド(1967年妥結、その最大の受益者は日本)、1967年西独を抜き西側第2のGDP国 (改革開放政策の採用により、中国はWTO加盟(2002年)、高い経済成長による世界第2のGDP国へ)
(注)私が通産省入省時(1967年)の時代背景(中進国を先進国へ、豪州では海外旅行は日常の事、隣国である中国と国交がない異常事態)
- オイルショックによる省エネ経済の確立等による先進国への道、ジャパン・アズNO1(1979年)エズラー・ボーゲルが称える(恵まれた国際情環境と国民の努力)
- バブル形成(地価高騰の異常さ、それによる信用創造)とバブル崩壊 その検証の欠如
- 河野談話と村山談話、昭和天皇の悔悟、平成天皇への継承(しかし、国民全体としては歴史認識が出来ているか?ドイツ・ワイツゼッカ―{荒れ野の40年}との対比)
(注)日本の対アジア政策は満州事変・日中戦争・太平洋戦争に至る歴史の反省が不可欠、岸田政権はその認識を欠く
3 第3の開国と国際経済社会(新しい公共と企業の社会的責任)
- 日本近代化の経験(成功、失敗、工夫)とその評価・反省とアジア諸国との共有
(注)ダボス会議(1998年)での香港経済人の発言、平成以降の日本を批判、しかしこの国は明治維新を起こした国と評価
- 少子高齢化社会(人生60年時代の制度設計が人生80年、90年の時代に継続)、異常な財政赤字構造(行政改革と社会保障改革)、地方の疲弊、中国等アジア諸国との友好、女性の社会的進出等の諸問題、地球環境問題への遭遇
- 失われた30年が続く現状から再生できるか、岸田政権による新しい資本主義は中身が乏しい
- (一国の政治のレベルは国民のレベルを反映-英国啓蒙思想家サミュエル・スマイルズ)(一方で、マックス・ウェヴアーの説く政治家の先見性―職業としての政治―)
- 中国及びアジアの発展と日本の関係(アンガス・マディソン(・・・アジアはかつて欧米を凌駕していた 産業革命がその岐路)
(注)(中国の技術水準は日本を越えた? 模倣大国から特許大国へ)中国経済への助言活動
(注)アセアンは1967年米国主導の反共政治組織→現在アセアン経済共同体を形成
- 冷戦の終結と市場経済の永続性への問いかけ
・冷戦の終結時、今後は市場経済システムが世界に広まり世界は安定するとの楽観論(「フラット化する世界」「歴史の終焉」)が出たが、現実の進展はこれを否定している。
・リーマンショックの発生等金融の不安、貧富の格差拡大、地球環境問題等出現 (「トマ・ピケティ21世紀の資本」が問もの―フィリップ・コトラー、マイケル・ポーター「市場経済から公共経済の世界へ」、「ビル・ゲイツ市場経済は購買力を有する需要には対応するも真のニーズには対応できない「、アマルチア.・セン「現代経済学批判―合理的愚か者の分析学―」、マホメッド・ヤヌス「3つのゼロ(失業、貧困、CO2排出)の世界」等)
- 企業の社会的責任(CSR)とその新しい潮流 CSRは、如何に社会の課題を事業活動の中(企業経営理念、企業経営ビジョン、企業経営計画)で具体的に展開するかにかかっている。
ポスト産業資本主義社会における「組織社会の性格、組織の社会的責任」を銘記し、CSRと経営者の役割を「経営理念、経営方針、経営計画」のなかで展開する必要。(SDGs、ESGは掛け声だけで終わってはならない。)
- 企業活動を適切に評価する消費者の役割も重要(安くて便利ならOKとしない)
- NPO法の制定1998年
(注)(公益を巡る日本国民法の遅れと市民社会の形成 法施行以来約5万団体設立)、環境基本法、循環型社会形成基本法と拡大生産者責任&消費者責任(消費者基本法)の新しい流れ
- 地球環境問題の発生・認識(成長の限界、1992年リオ・サミット、パリ議定書)
・環境基本法、循環型社会形成基本法と拡大生産者責任&消費者責任(消費者基本法)の新しい流れ
- 歴史的産物としての国民国家を如何に脱皮、世界連邦への展望を描けるか
- 国連SDGs2030年は、新しい展開を促す
- トランプの出現(アメリカ第一主義の実態、アメリカ市民革命精神は死んだのか)と米中2極体制の鮮明化 この2極体制を連携させることが日本の世界史における役割である
- ロシアによるウクライナ侵略とこれを阻止できない国際システムの脆弱性
- 英国EU離脱問題は一方にあるが、拡大EUは新しい展開
(注)1973年、(独仏石炭・鉄鋼共同体形成に始まるEU形成の歴史をたどる)
- 平成は何故失敗したか、失われた30年の検証(岸田政権は新しい資本主義を唱えるが実態が乏しい
- (「政治のレベルは国民のレベルの反映である」(サミュエル・スマイルズ)である一方、「職業としての政治家の先見性は」不可欠(マックス・ウェーバー)
- 第三の開国を迎える日本に従来のようなモデルはない、自らの開拓と提案が不可欠
4 改革の諸課題の背景にあるもの
(1)組織のあり方と個人の自立
- 企業を中心とするわが国の組織及び個人は、いかなる対応を取りうるか
- 福沢が明治時代に深くとらえた独立自尊の課題は、ここにあらためて提起される。
- 加藤周一(日本文学史序説上下-ちくま学芸文庫)、中村元等(日本人の思惟方法-春秋社)等が鋭く
分析する日本の伝統的思想(体系的価値観の欠如-所属集団への強い帰属、論理的思考の欠如、)、与えられた状況への対応、蛸壺型社会「丸山真男-日本の思想」)はどう克服されるか。
(2)リベラルアーツと時の目、鳥の目で見る歴史観
①人間の相対性、相互依存性あるいは全体と部分を理解・認識するうえで、リベラルアーツ(文学、歴史、哲学等)、歴史意識(現代社会は過去を振り返り、現税を評価し、将来展望の中で如何位置ずけるか)の必要性は一層高まっている。
⓶明治以降今日に到る日本の教育は、テクノクラート養成に主眼が置かれ、リベラルアーツ、人間、社会、歴史の本質に迫る意識を埋没させることにならなかったか。
- 情報通信技術(ICT)の可能性、限界、ルール形成の必要性
- ICT革命と産業革命との比較(産業のみならず社会の様々な分野に及ぶ、物理的距離の克服と組織の大小の克服、その及ぼす影響と範囲は産業革命をはるかに凌ぐ
(注)パリ商工会議所における平田正明教授の講演 (産業革命発生時、人々はロンドンの馬車が無くなることを予想しなかった)(情報革命が進む現在、我々はこれに如何対処すべきか)
- 人間の相互依存関係、相対性の認識を高められるか (AIと教科書が読めない子どもたち、(本を読まない、文章の書けない大人達)、「統計、確率、論理」のおける有効性、シンギュラリティ(人間を超える)の無効さ…新井紀子著)
- 新しいルール作りの必要性
終わりに
- 「歴史とは、過去と現在の対話であり、また、未来への展望である」と言われている。
⓶ バーとランド・ラッセルは、近現代社会は、歴史的時間、物理的空間を巡って飛躍的拡大を見たが、現代人の思考は極端に狭まっていると述べている。
③世界は大きな転換期にあり、また、現代の日本は、明治維新、戦後改革に次ぐ新しいパラダイムの形成、第3の開国が求められている。これを如何に達成するか、現代に生きる人々の対応が求められている。
(別添)随想 音楽教育の恩恵 井出亜夫 2021年4月
コロナウィルス・パンデミックのため外出機会が極端に減少したため、また、昨年は、偶々ベートーヴェン生誕250周年に当ったことで音楽に接する機会が際立って増えました。ラジオ・テレビ、CD、DVDで改めて聞く多くの音楽に接し、次の思いが走りました。
音楽に国境はないこと、自然界と人類社会との相克の問題であるコロナウィルス・パンデミック問題は、国境をこえた国際協力なくしてその解決はあり得ないことであります。国境のない音楽は、国際協調を促す有力な背景であり、改めて音楽教育の恩恵を感じます。
小学校時代、郡の音楽会に参加した時の曲目は、ドナウ川のさざ波(イヴァノヴィチ作曲)、クシコスの郵便馬車(ネッケ作曲)、シューベルト軍隊行進曲、荒城の月だったと記憶しています。
中学時代は、それまでのバッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパンといった古典派、ロマン派音楽家の名前に加え、国民学派音楽家としてチャイコフスキー、グリーク、歌劇作曲家ビゼー、ヴェルディ等を知りました。チャイコフスキー「スラブ行進曲」、ビゼー「カルメン」、グリーク「ペールギュント組曲」、ヴェルディ「アイーダ」をレコード(当時の中学校では未だLPレコードは存在せずSPレコードでした)で聞きました。スラブ行進曲、ペールギュント組曲「オーゼの死」、アイーダ「勝利の行進」は少年の耳に強く残りました。
高校入学時、音楽室に配置されたステレオでプッチーニ「トスカ」全曲を聞き、その一節「星は輝きぬ」は今でも忘れません。
かつて、OECDの会議でウィーンに行ったとき、歓迎演奏会で「ドナウ川のさざ波」をリクエストできたのも、また欧州滞在時ナポリに旅した時、レストランで「オーソレミオ」の演奏を依頼できたのも小中高時代の音楽教育のお陰であり、70年近く経過した今日改めて当時の諸先生に感謝の念を抱く次第です。
ベートーヴェンは既に200年前、交響曲第9「合唱」第4楽章において、人類の平和、兄弟愛を唱えていますが、人類は今に至ってもこれを実現していません。コロナウィルス・パンデミックを契機にその実現に少しでも近づきたいものです。(しかし、現実にはウクライナ戦争の暴挙が発生)