2023年9月24日
90年代以降の原子力
Re: どうする原発ー原発回帰は偶然の賜物?安保理常任国への道・ウクライナは「中立国」の出番です
浜田真悟
拝復、
市川周さま、白馬会議でトークされる澤田哲生さんは、大学の大先輩です。おそらく白馬会議にご縁の深い飯田哲也さんも私の大先輩です。
澤田さんは湯川秀樹博士の跡を継ぐ素粒子物理研究室をでられて
東工大の原子力で教鞭をとられました。私は、湯川研究室のとなりの荒勝文策博士の跡を継ぐ原子核物理研究室をでました。
湯川荒勝両氏ともに戦前戦中の海軍委託で日本製原子爆弾の研究開発(F研究)をされました。
私が学生の頃、荒勝氏が台湾から持ち帰ったコッククロフト静電加速器を年一回掃除するのが恒例でした。
飯田哲也さんは原子力工学科の数年上の先輩で、原子力安全員会に出入りされる大先生の薫陶をうけられています。
私も不詳の後輩でありながら非常に大事な人生の指針を与えていただきました。
民主党政権時に国会でフクシマ311後の原子力政策を問われた
浜田和幸元議員は私の同郷の大先輩でもあり、質疑にあがった
オメガ計画は私がフランス滞在当時どっぷりとつかっていた政策でもあります。
仏から帰国後、文科省で政策にたずさわってからは原子力の現場には直接はいませんが、いまも東海村で稼働しているジェイパークという施設機構の名前を付けたのは私です(職員公募のため)。
渡仏直後に東海村JCO事故が起こり、
前回申し上げました「夢のお告げと原子力」により、
私はからがらこの事故を避けたことになります。
JCO工場は水戸から東海村への朝夕の通勤時に目にしていた建物です。
仏から帰国後すぐに石井こうき議員事件があり、90年代に原子力東海村の現場で見聞した事件と重なり合って大変驚きました。
ジェイパークはオメガ計画でいうところの加速器駆動型原子炉燃焼(ADR)を扱う予定でしたが、浜田元議員のご質問にあったように、オメガ計画自体がタブー扱いになっており消滅処理までは至っておりません。
キュリー夫人のラジウム元素発見の功績にあやかって私の郷里の
三朝温泉(ラジウム温泉)では毎年キュリー祭りを行っております。三朝ラジウム温泉の近くにある人形峠と言うところではウラン鉱がかつて採掘され、私共学校生徒の遠足でもよく行きました。
あとでわかったことですが、人形峠ウラン鉱を開発していた旧原子燃料公社は私の生家の真ん前にありました。
仏滞在時、コレージュドフランスに設置してあったキュリー夫人たちのつかったサイクロトロン加速器研究室が私のいたラボです。
ラボで私が師事したのは、元フランス軍将校でムルロア核実験などの核燃焼暴走の数値シミュレーションを専門とする研究者でしたが、その当時に私がやっていたのは、先述の加速駆動型原子炉燃焼の
数値シミュレーション(ADR)俗称ルビアトロンでありました。
戦中、戦後の原子力の歴史はそのまま頭に入っています。
90年代以降の原子力を振り返って、最近いくつか問題提起を差し上げています。ご参考まで。敬具 浜田真悟
- J-PARC2125核査察
https://drive.google.com/file/d/19DvtIz5bMBEauLO93LlmuAiVAvfZ7pN_/view
- 核地政学レポート(日本安全保障フォーラム)
Nuclear Geopolitics (Japan Security Forum)
https://drive.google.com/file/d/1AIqVED5eg5XeOBgpx1X8p5vzLxf30d7n/view?usp=sharing
https://drive.google.com/file/d/1IJlQ0BnGTm4_E8wY4pV9Bj6SmUddd0oo/view?usp=sharing
受け止められるか、心配あります。