2023年10月15日
話のタネ
SUMO
元国連事務次長・赤坂清隆
前略、
このあいだ、息子に誘われて、両国国技館で大相撲を観戦してまいりました。もう何十年ぶりかの現場での観戦でしたが、国技館に入るや、土俵の明るさと,「満員御礼」のひと、ひとの群れに、圧倒される思いでした。テレビで見る、土俵だけに焦点を当てた大相撲とは雲泥の差で、まさに心浮き立つ雰囲気がありました。
力士たちの化粧まわしの派手な色合い、行司、呼び出し、懸賞幕を持つ人、土俵を履く人などの裏方さんの衣装のカラフルなこと。照明に浮かび上がる土俵の上で相撲を取る力士たちは、まるでぜんまい仕掛けのからくり人形のようでした。歌舞伎座や国立劇場で緞帳(どんちょう)が上がると、一気に舞台が明るい照明に照らされて、まばゆいばかりになり、夢の世界へと導かれるような、あの気分と似ていますね。
大相撲は、「日本が世界に誇りうる偉大なエンターテイメント」というのが、わたしの得た印象です。しかし、このような大相撲の見方はあまりに皮相的すぎると批判されると思います。とにかく、大相撲には、長い歴史と伝統に裏打ちされた奥深さがあります。この点は、最近のニッポンドットコムの一連の相撲関連記事が、詳しく伝えています(例えば、立ち合いの仕切りについての本年9月22日付の記事、
まさに「バランスの奇跡」―大相撲の醍醐味「立ち合い」について考察する | nippon.com
あるいは、9月23日付の日本三大相撲祭りに関する記事 【日本三大相撲祭り】愛媛「大山祇神社御田植祭・抜穂祭」・長崎「高浜八幡神社秋季大祭」・石川「唐戸山神事相撲」:土俵の神にささげる古来の武芸 | nippon.com など)。
後者の記事によれば、天皇が観戦する天覧相撲は、奈良から平安時代にかけて宮廷儀式となっていきますが、単なる余興ではなく、勝敗によって豊作・凶作を占う神事だったということです。
相撲の所作や儀式が神秘的な色彩を帯びていることや、
大銀杏(ちょんまげ)、まわし(ふんどし)などの日本独自の所作・慣行から、異国情緒に惹かれるのでしょうか、外国人にも相撲ファンは多いようです。熱狂的なアメリカ人の相撲ファンのブログが、インターネットに載っています。また、シラク元仏大統領が大の相撲ファンであったことはよく知られています。サルコジ元フランス大統領が、2004年に中国を訪問した際、「日本よりも中国が好き。相撲は知的なスポーツではない」と発言したのに対し、シラク元仏大統領は、その著書の中で、サルコジは相撲を皮肉り、日本を中傷したとして憤りをあらわにしたといいます(2011年6月19日付日経新聞)。
しかし、この大相撲、現在の日本の若い人たちの間では、一部の熱狂的なファンを除けば、人気のほどはどうなのでしょうか?というのも、わたしが勤務した前の財団では、ニュースを見るためにテレビのNHKチャネルをつけっぱなしにしていたのですが、大相撲中継がかかっているときに、画面に関心を示したのは私だけでした。現在勤務しているニッポンドットコムでも、まったく同じ状況です。特に若い人たちは、全然大相撲に関心がないように見受けられます。
笹川スポーツ財団は、1992年から2年ごとに、全国の18歳以上を対象にした「スポーツライフに関する調査」を実施しています。最新の2022年の調査では、「好きなスポーツ選手」の第1位は、大谷翔平、2位が羽生弓弦、3位がイチローで、相撲力士の名前は10位以内には見つかりませんでした。ただ、わずかに、年代別では、70歳以上の年代で、相撲力士の若隆景が第7位に入っただけでした。他の調査を見ても、最も好きなスポーツに選ばれているのは、野球、サッカーであり、大相撲は残念ながら上位に顔を見せていません。「巨人・大鵬・目玉焼き」の昭和の時代はずいぶんと昔のこととなりました。
大相撲は、ひいきの力士がいて、他の力士についても名前と顔が判別できるようになって初めて試合が面白くなる気がします。わたしが小学生にもならない小さなころは、年上のがき大将が千代の山ファンで、わたしが若乃花のファンだったにもかかわらず、無理やり大きくあごの出た千代の山の応援をさせられました。当時の子供は、大相撲が始まるとみんなしてテレビの前に釘付けでした。そのころは、力士は皆そんなに大きくなかったから、組み相撲が多くてハラハラするような面白い勝負が多かった気がします。それが、力士の大型化に伴って、昔のような手に汗を握るような組み相撲が少なくなりました。その分、押し出してあっという間に勝負がついてしまうケースが多くなりました。制限時間になるまで待って、その結果1,2秒で勝負がついてしまうような相撲を見るというのは、あまり面白くないですよね。
大相撲ファンには、けっこう女性も多いようで、国技館でも大勢の女性が詰めかけていました。しかし、大相撲が、男の世界の伝統文化を維持しているのは今もって変わらないようです。2018年、京都府舞鶴市での巡業で、救命のため土俵に上った女性看護師を、土俵から降ろした事件については、ずいぶんと批判がありましたね。
その後日本相撲協会の理事長が反省の談話を出し、緊急時、非常時は例外で、人の命に係わる状況は例外中の例外として、女性が土俵に上がることも認める意向を示しました。
ただし、あいさつや表彰などのセレモニーの際に女性が
土俵に上がるのを認めるのかについては、相撲がもともとは神事を起源としていること、伝統文化の継承、土俵は男にとっての神聖な戦い、修練の場であることなどを理由に、検討のために時間を与えてほしいとしつつも決断を保留しました。あれからすでに5年が経過していますが、この土俵と女性との問題で新しい動きは見えません。伝統文化の名のもとに、古い、古臭い、なんとも時代遅れともいえる考え方が続いているとの批判があってもおかしくない気がしますが、皆さんはどうでしょうか?
一方、スポーツとしての相撲は、国際的にもSUMOとして、相当普及してきているようです。1992年には、国際相撲連盟が創設され、世界相撲選手権大会や世界女子相撲選手権大会が開催されています。今年(2023年)は、10月7,8日、アリーナ立川立飛で、ワールド・スモウ・チャンピオンシップ(世界相撲選手権大会)が開かれます。この大会では、男性の部、女性の部、ジュニア男子の部、ジュニア女子の部で、それぞれ軽量級、中量級、重量級、無差別級に分かれて試合が行われるようです。
このようなスモウの国際化は、将来オリンピックへの参加も目指しているようです。お尻を露出することに抵抗がある人が多いので、まわしの下にトランク状のパンツをはくルールも設定したとのことです。女性の参加も促すため、世界大会が催されていますが、このSUMOの世界大会に挑む4人の「女子力士」の話が、2023年10月4日付のニッポンドットコムの記事に紹介されています
https://www.nippon.com/ja/japantopics/g02342/?cx_recs_click=true
日本の古来からの伝統をかたくなに守る大相撲と、国際化や女性の参加もすすむスポーツとしてのSUMOの将来を、どのように見越したらよいのでしょうか? 両者を一緒にしたら、ちょんまげやふんどしなどは廃止し、体重の階級別で試合が行われ、まわしは白と青など、ということになると、それこそ伝統文化どころではなくなりますね。
これは、日本柔道がたどった国際化の道でもありますね。
わたしの友人にも意見を求めましたが、両者を一緒にするのではなく、大相撲は伝統的な所作を残し、SUMOは国際スポーツとして、双方相交わらず、平行線で互いの発展を図るのが良いという意見が多かったです。わたしもそのように思うのですが、皆さんは如何でしょうか?わたしは、大相撲にも、女性を土俵に上がらせない慣行の是正や、国技館への大スクリーンの導入などの改善策を検討してほしいとは思うものの、柔道がたどった国際化の道をまねしてほしくはないなと愚考します。体重別といった西欧文化の合理主義にとらわれることなく、「小よく大を制す、柔よく剛を制す」の日本の相撲の伝統美と醍醐味を残してほしいと思うのですが、いかがでしょうか?相撲とスモウ談義、話のタネになりますか? (了)