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        「古武士(もののふ) 56話 家族の団欒 

        八幡浜農業 柑橘 編。」

        ________________________________________

         

        垂仁天皇の勅命を受けた田道間守【多遅摩毛理(タヂマモリ)】が、

        苦労の末に不老不死の霊菓・非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)【非時香木実<橘>】を常世の国<海の彼方にあるとされた永遠不変・不老長寿の国(奄美大島)>から持ち帰った、その橘が、橘本神社の旧社地「六本樹の丘」に移植されたのである。

        橘は日本原産で、九州・四国・紀伊半島に自生していた。

         

        ただヨーロッパではみかんの事をマンダリンと呼んでいる。

        Mandarin の語源は Man Daren 満大人」という中国語だ。

        「満大人」は「満州人の大人(役人)」の意味で、Mandarinとは、本来は清朝の貴族役人が使っていた北京官話(官話は役人言葉・公用語の意味)のことである。

         

        現在の普通話(中国国内で公用語と定められた中国語)が形成されるまでは、北京官話といえば中国の標準語の地位にあった。すなわち満州物とか漢物と表現されている。まあヨーロッパでは日本も中国も一緒くたなのかもしれない。

         

        そんな千夜一夜物語の様に評されているみかんだが 事実 今でもみかんは皮ごと食後に食べると糖尿に効くらしい。 いや他にも多くの効果があるようだ。昔はよく焼いて食べた人もいたそうだ。神が与えた恵みと言っても過言では無い。

         

        漁業以外でもう一つ八幡浜が全国に名を馳せた産業が柑橘農業である。

        明治27年(今から120年前)、道上の地元向灘勘定の大家百次郎翁が3000本の温州みかんの苗木を九州から取り寄せたことが柑橘栽培の始まりである。

        それも江戸時代後期から各浦々の漁村で何代にも亘って段々畑を開発しサツマイモや麦を栽培していたおかげで柑橘への切り替えが容易だった。

         

        終戦後農地改革を経て向灘の温州みかん栽培は増産の一途をたどる。

        八幡浜は全国屈指の温州みかんの産地で、中でも東西に延びる向灘地区は海抜300メートルの権現山の頂きまで一段一段石積みをして開墾された段々畑なので とても水はけが良く、しかも全面南向きのため年間積算日照時間が多いことで食味の良いみかんが出来る。

        平成2年に宮内庁と愛媛県青果連のご推挙により、今上天皇大嘗祭に供納するみかんを献上したことから日本一と評されるようになった。

        しかも 日の丸みかんは千疋屋にしか置いていないと言われていた。

         

        愚息がフランスの柔道チャンピオンB・Sと話したのはフランスへ着いてすぐの事だった。

        B・Sは当時日本チャンピオンだった神永5段と練習試合で引き分けるほどのつわものだった。

        彼曰く「我々西洋人は上半身において日本人に負けないが、足腰の強さで日本人に負ける」と言っていた。

        「日本人は正座するから強いんだ」。 

        愚息がふと思ったのは日本の便器だった。

        日本はフランス(55万平方キロ)の5分の3の面積(36万平方キロ)人口はフランスの倍、しかも国土の83%が山だ。

        道上は毎日山を駆け上ったり駆け下りたりした。強靭な筋肉 バネのある体は真にみかん畑によるものだと言っても過言では無い、 と 愚息は思った。

         

        その昔初代若乃花という力士がいた。小兵ながら名横綱だった。

        彼は船の冲仲仕をして鍛えられた。重い荷物を持って船に乗り降りする毎日、強く大地を踏む足 30センチ幅の細い掛け板を往来する事によって培われたバランス感覚。

        八幡浜も冲仲仕の町だった。

        自然が、仕事が、強靭な身体を育ててくれた。

         

        前田山英五郎 (戦後初の横綱。相撲界の国際化の先駆者。外国人力士第1号の高見山を発掘 )をはじめ、 初代朝汐太郎も八幡浜出身。後4代目朝潮が 朝青龍をも輩出している。

        道上の父安太郎もアメリカのアマチュア相撲で連戦連勝の横綱だった。

        道上伯の国際感覚も八幡浜だから育ったのだろうか?

        みかん山から見下ろす入り江には海外に目を向ける魔物のようなものが潜んでいる。

        近年トップブランドと言われる「日の丸みかん」は向灘地区の三つの出荷組合(日の丸、朝日、ム)が合併し出来上がった共撰のことである。

        現在は頂上まで農道が整備され国による南予用水事業のおかげで夏期の渇水対策も万全で、昔の人たちの農作業と比較すると夢のような環境になった。

        それもこれも「朝は朝星、夜は夜星」と言われるほど夜明け前から日暮れまでご先祖が流した汗と日々の労苦の結晶が現在の基盤を作ったものと言える。

        しかし便利になった分だけ現代人は体力が衰えてきているのかもしれない。

         

        さて、みかんの苗木を向灘に取り寄せたことでみかんの父と呼ばれる大家百次郎氏のことは地元の方ならよくご存じのことなのだが、それを愛媛の基幹産業として基礎を固めたのは同じ勘定生まれで道上より12歳年上の岩切徳市氏である。

        尋常小学校卒業後1ヘクタールの土地に早くから柑橘栽培に取り組み、みかん園を創りあげた先駆者である。

        生食果として商品にならなかった果実をジュースにすることを思いつき豊富なミネラルを育んだ八幡浜ミカンジュースは健康にこだわる多くの方達に愛飲されている。

         

        愚息「お父さん八幡浜みかんは日本一ですよ」「君は何を言っているんだ、世界一だ」

        何を言っても世界基準になってしまう道上。

        八幡浜は道上にとって思い出の宝庫だった。

         

         

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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