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        古武士(もののふ) 59話 

        「家族の団欒は永遠ではなかった。」

        ________________________________________

         

        突然日本から電報が届いた。

        志摩子の夫、清水猛に日本へ帰るようにという内容だった

        当時清水園と言えば 関東一円で最も大きな料亭だった。

        1万坪を優に超える広大な敷地には滝があり 、部屋は全て離れの一軒家。

        高床式になっていてその下を池がめぐっていた。

        当時埼玉県警にいた亀井静香(国会議員)は

        その床に潜み右翼たちの会話を盗み聞きしようと試みたそうだ。

         

        その女将の相続をめぐって 孫の猛は日本に 帰らなければいけなくなった。

        そうなると 道上家の中心だった志摩子、清水猛、娘清水美津里、の3名がいなくなる。

        在仏道上家の崩壊である。

        道上は猛に思い留まらせるよう必死で説得にかかった。

        清水猛は清水園存続の為必死で道上の説得にあたった。

        清水猛は人柄もよく 、しかもなかなか忍耐強い男だった。

         

        幾度となく繰り返される道上の引き留めには大変苦労したが、長男でほかに男兄弟のいない彼は 苦しみながらも粘り強く道上を説得した。 半年後には道上もようやくあきらめ帰国を了解する。

        1969年の事だった。

        清水猛在仏2年強、清水志摩子在仏5年。

        いろいろなことがあった。

        1968年のパリ5月革命も経験した。

        交通遮断。食料は途絶える。

        もちろん猛にとって大好きな煙草も買えない。

        何といっても 道上の浦島太郎の様な生き方、何もわからないフランスでの生活。

        全てが未経験の事だった。 いつも道上家の張りつめた雰囲気(怖陰気)が、猛が同居することによってひと時の春だった。

         

        男尊女卑の道上家では、愚息は道上から毎日手刀(3本指先)で頭をどつかれた。

        毎日指折り数えたが、猛が来てからもついにどつかれない日は無かった。

        3本指を手首のスナップだけで 愚息の額をどつく。

        その瞬間頭がくらくらする。

        もどしたり下痢したりする愚息だった。

        道上は志摩子や特に猛には優しかった。

        しかし猛は言った 「男には将来の為 強くなければいけないと言う理由から厳しくなる。

        女性はいつかは巣立っていくから 甘い。雄峰君が羨ましい」と。

        そんな志摩子も一度だけ道上にひっぱたかれたことがある。

        家族の団欒の中でまだ猛が来仏していない頃、日本での噂の話になった

        道上にはフランスに女がいるというものだ。

        一度もフランスへ来た事も無い人達のやっかみの噂である。

         

        一方女房小枝には 日本で男がいるとの噂を 道上が切り出した。

        その時軽蔑したような顔で 志摩子はせせら笑った。

        その瞬間道上の平手打ちが飛んだ。

        志摩子はおよそ5分にわたって道上をにらみ続けた。

        道上が「お父さんには数十万の弟子が居るが お父さんをにらんだのは君一人だ」。

        いろいろなことがあった。

        愚息もフランスの水が合わなかったようだ

        日本に帰りたくてハチャメチャをやってのけた。

        彼には猛のように道上を説得する力は無かった。

        もともと相手にされていなかったからだ。

        志摩子は現在清水園の代表として忙しい毎日を送っている。

        疲れが溜まりすぎると、誰にも知らせずパリへ飛ぶ。

        パリの街角にたつカフェで1人のんびり猛との思い出にふける。

        昔のパリ、カフェは座って通る人達を眺めるだけで飽きなかった。

        猛はカフェで過ごすのが大好きだった。

         

        世界中の人たちがいろいろな格好で自己顕示する。

        見ているだけで飽きない。

        当時のスティリストのデザインはストリート・ファッションの

        パクリだった。

        街で流行ったものを2年後にパリ・コレが世界に発信する。

        橋の欄干にもたれ遠くを見つめる外国人たち。

        その目線の先は祖国に残した家族恋人達であろうか。

        哀愁漂う光景を目にする一方、

        抱き合い永遠の愛の誓いを表現する若者たちの姿が心に残る。

        誰もが恋人を連れて必ずパリに来るぞと心に誓う。

        愛する人、愛する家族、愛する母国と心から向き合えるのがパリなのだろうか。

        手をつないで歩く老夫婦が美しい。

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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