「古武士(もののふ) 第63話 永住を決める。」
結局家族は皆日本へ帰ってしまった。
道上は家を買おうと思った。
フランスに永住する決心をしたのだろう。
1970年代の事だった。
当時フランスは自国の植民地が次々と独立し 以前のような好景気は無くなっていた。 城を維持できず手放す者もかなりいたので相当な数が余っていた。
ホテル又はレストランの営業権を持たないシャト―はただ同然のものも多かった。
そのかわり京都の重要建造物のように、保全のために毎年巨額のお金をかけて修復しなければいけなかったりする。
道上はフランスの田舎が大好きだった。
休みの日になると折り畳み式の椅子を自動車に乗せ、 一人ピクニックを楽しんだ。
小川のせせらぎに耳を傾け遠い八幡浜を思い浮かべたのだろう。
シャトーを買う事にした。
その旨弟子たちに伝えたところ、思いもよらないことに弟子全員から猛反対にあった。 「先生、僕たちはどうなるのですか?30キロも40キロも離れたところに住まわれたら歩いて先生宅に遊びに行けないではないですか」
「道場から歩いて行ける距離にしてください」。
道上は町のちまちました所に住むよりも広い田舎の方が良かったのだが、皆からそこまで言われたら仕方がないかと城はあきらめた。
道上は治安の為ボルドー警視庁の真ん前 Rue Casteja (通り)のアパート(日本でいうところのマンション)を購入した。
足腰の鍛錬のため、あえてエレベータの無い3階(日本では4階)建ての最上階ワンフロアーを現金(たんす預金)で買った。
そのとたん国税が入った。現金で買う人は珍しい。
今では格付け(重要文化建築)になっているアパートだった。
そのアパートには毎晩ひっきりなしに弟子が遊びに来た。
きつい練習の後、皆で酒を囲む。
これが道上にとっても弟子にとっても最高の時間だ。
弟子と言っても40歳代50歳代の師範ばかりだが、皆道上のファンだった。
道上の柔道のみならず、人物、生き方に憧れを持つものばかりであった。
道上に柔道を習った、道上を知っている、は皆の誇りであった。
誰もが父親の様に慕っていた。
道上は70歳まで乱取りをしたが(練習試合)皆にとっても真剣勝負だった。
右足親指の内側楔状骨が飛び出し、左上腕二頭筋腱が切れたが、それでも乱取りをやっていた。 手術したものの今度は右の上腕二頭筋腱が切れた。
それも手術でつなぎ、また乱取りをやっていた。柔道は身体に負担が多い。
だが本人は苦痛のなかやっていたわけではなく、至って楽しんでいる様子だった。
武道とは命のやり取りが前提にある。
「一本」すなわち死を表すものであり。
そこには「有効」、「効果」などと言うものは存在しない。
健康を考えるスポーツとは違う次元のものである。
それを練習で行うと身体に無理が来るのも当然だろう。
晩年道上は愚息にポロッと漏らした
「お金の為にやっているんではないんだ。健康の為にやっているんだ」
道上は戦う事が自分の生きざまだった。
ある日道場を出ると道上の自動車と前後の自動車が10cm程度しかない間隔で停められていた。前後の自動車を押してしか出られない。
「雄峰!自動車を持ち上げて出すぞ」
「いやお父さん僕は腰が痛くて出来ないです」
「情けないな~」
愚息は心で呟いた。70歳代後半の男がそんな負荷をかけたら膝に良いわけがない。 道上の膝は既にすり減っていて軟骨が無くなっていた。
歩くと古希古希(コキコキ)と音がする。
そこまでしなくてもよいだろうと愚息は思った。
出張の無い日は早朝から炊事、洗濯、食事を済ませ
rue Poquelin Moliere(通り) の道上道場へ通う毎日だった。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。