「古武士(もののふ) 第65話 シャトー・ラ・ジョンカード」
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道上はボルドーに住むようになってから(1953年)ボルドーの様々な葡萄酒を飲んだ。 家族が渡仏したころもまだシャトー・ラ・ジョンカードではなく、いろいろな葡萄酒を飲んでいた。
買う時はいつも樽で買っていた。
パリに来るときにはそれを瓶に詰め替えて紙に包んで大事に運んでいた。
シャトー・ラ・ジョンカードを飲むようになったのはおそらく1970年あたりからだろう。
当時フランスで柔道を習うのは生活水準の高い人達が多かった。有料で月謝は決して安くはなかったからだ。
生徒の中にはシャトー(葡萄畑)を持っている人も多かった。
そういった環境の中で道上はシャトー・ラ・ジョンカードを知る。
昔ながらの作り方で丁寧に作られる葡萄酒には力強い味を感じ、
道上はすっかり気に入ってしまった。 多くの葡萄酒(ボルドー全ての)を飲んでいたが、シャトー・ラ・ジョンカードと出会ってからは他の葡萄酒はほとんど飲まなくなった。
シャトー・ラ・ジョンカードは1959年にサテュル二夫妻が荒れ地を耕し作った葡萄畑だ。 既に城もあり、葡萄畑もある程度は存在していた。
それを改良・拡大していった。今は40ヘクタールほどになっている。
道上はシャトー・ラ・ジョンカードへよく通った。
以前にも書いたが田舎が好きなのだろう。また田舎の人達と触れ合うのが楽しかったのだろう。 確かに道上の人生はホテル、飛行機の毎日でのんびりする暇がなかった。 自動車で1時間で行ける田園に囲まれた場所。よほど気に入っていた様だ。
シャトー・ラ・ジョンカードへ行くと歓待してくれる。
良い人達だ。
そこで日本の田舎愛媛県の八幡浜をノスタルジックに思い出して居たのであろうか?
フランス人は冷たい、プライドが高い、調子が良い、うそつきだ・・・。
こんな事を言うのはフランスの田舎を知らない人達だ。
フランスの田舎は素晴らしい。人間が素晴らしい。
だから美味しいものが豊富だ。
道上の葡萄酒の飲み方は歳と共に変わって行った。
もともと食べ方には注意していた。
よく噛んで延々と無言で2時間3時間かけて食べるが、飲み方も特別だった。
味わって飲むのは当然だが、まず水を一杯ゆっくり飲む。
少し食べ物をお腹に入れてからゆっくり葡萄酒を飲み始める。
食事をしながらそのうち飲む方のペースだけが上がってくる。
道上が83歳のときのこと、一時帰国中にちょうど葡萄酒を切らしていたため毎晩日本酒を飲んでいた。
菊正宗の樽酒だったが、一人で一升半から2升を毎晩飲んでいた。 愚息も葡萄酒なら一晩で4~5本飲む事はあったが日本酒を2本(升)飲んだことは無い。
ましてや83歳でだ。歳をとるとお酒も弱くなるものだが。
道上は最初にシャトー・ラ・ジョンカードPrestige と呼ばれている赤ラベルを飲んでいた。
樹齢45年から~55年の樹からとれる葡萄で造られた赤ラベルは、75~80%がカベルネ・ソービニオンというタンニン(渋み)のあるボルドー独特の葡萄酒である。
この葡萄酒はお肉の赤身、脂身、塩・コショウの味付けに非常に合う。それらと混ざると口の中で何とも言えない甘さ・旨さを感じる。 しかも新樽で16か月以上寝かせてある。樽香の香りが料理の味わいに華やかさを齎す。
濃縮されたコクのあるしっかりした味わいだから抜栓して翌日飲んだ方が美味しいぐらいだ。 いや、翌々日でも美味しい。すぐ飲む場合でも抜栓後1時間以上経ってから飲むのが望ましい。
非常にバランスの取れた品のある味わい深い葡萄酒である。
60歳代の時に一時日本に帰国した道上を家族は歓待した。
夕方6時に飲みはじめ、飲み終わったのが翌晩の10時。
28時間飲みっぱなしであった。
さすがに長女の旦那は慣れないせいか途中寝かせて頂きますとか言って寝室へ行った。 我々にはいつものことだった。
道上一人が延々と飲む。それをわれわれ家族はただ見守り続けるのであった。
当時は弟武幸も健在であったので一緒に外食に行き、4、5件梯子する。 4、5件飲み歩くというのは分かるが食べ歩くのだ。
愚息はこれにも付き合わされる。
大宮清水園では料理屋のせいか食べ物はふんだんにある。
延々と食べ続け、延々と飲み続ける。 志摩子(次女)も雄峰(愚息)もこうやって我慢という事を覚えた。
道上は70歳過ぎてから一切肉を口にしなくなった。なぜだろう。愚息も分からない。
健康の為だろうか?きっとそうだ!
葡萄酒は徐々にジョンカード黒ラベルに移行していった。
ジョンカード黒ラベルはCuvee Reservee と呼ばれ、50%のカベルネ・ソービニオンとやはりボルドー特有のメルロという 葡萄の品種50%で作られている。
10か月ほど古樽で寝かせ、そのあと新樽で半年ほど寝かせる。 樹齢は35年から45年のものだ。
抜栓して30分~1時間ほどたってから飲むのが美味しい。抜栓して翌日飲むとさらに美味しい。 赤ラベルに比べコクという面ではやわらかい。非常に飲みやすい葡萄酒だ。
本物の葡萄酒は日持ちする。田舎のキャフエでは樽が置かれていて、そこから飲みたいだけグラスに注いで飲んでいた。 今のワインで同じことをやるとすぐに酸化してしまう。
昔ながらの造り方はこうも違ってくる。
晩年はジョンカード白ラベル Rubi du Prince Noir になった。
カベルネ・ソービニオンが20%、メルロが80%だ。樹齢は25年から~35年。 一年以上古樽で寝かせるが、古樽では樽香の香りはしない。 ある意味で本当の葡萄酒だ。
樽香でのごまかしの無い、本当の葡萄酒らしい葡萄酒本来の味わいがある。
食後もつまみなしで飲むには最適だ。
しなやかな口当たり。しっかりとしたフルボディの辛口。 コク、酸味、渋み、バランスが取れていて、 若々しい果実味の後に、喉の奥で感じるしっかりとした力強さ。 後味も心地良く、凝縮したアロマが鼻腔へと軽やかに抜けていく。
赤ラベル黒ラベルに比べコクと香りという意味では劣るが、メルロが多い分、飲みやすい。 私もこんな事を書いているうちに今晩も飲むぞ!と心に誓ってしまう次第である。
道上はよくこんなことを言っていた。
「最近は量を売るために安い葡萄酒を樽ごと買ってきて混ぜてるものが殆どだ。
これは頭が痛くなるから絶対に飲まない様に」
「シャトー物(Mis en bouteille au chateau シャトー瓶詰めの意)でなければいけない」
食べ物についても酒についても「語る」ことをしない道上ではあったが。
シャトー・ラ・ジョンカードは1989年、フランスでもっとも権威のあるブラインド・テイスティングで1位に輝いた実績がある。 かの有名なペトリュスはそのとき5位。
まさに道上伯とは名伯楽であった。
その葡萄酒が非常に手ごろな値段で飲める。道上にとっては当たり前のことだが今では珍しい存在になった。 ましてや日本では稀有な葡萄酒だ。 フランスではAOC生産地統制称号なるものがあるが、これらを全て兼ね備えている。 要するに身元がはっきりしているという事だ。 よく「トレサビリテイー」と言われる時代になったがそれはまさしく、いい加減な葡萄酒が多く売られる世の中になってしまった事を意味する。
ボルドーの葡萄酒(赤)には多くのレスベラトロールが含まれていて認知症・アルツハイマー病の治療予防に役立つと言われている。
道上は90歳で他界したが死ぬまで頭はしっかりしていた。
晩年道上は健康にも気を使っていた。そのために次第に食べ物が変わっていった。
ちなみに愚息が「ワイン」と発すると叱られた。
「葡萄酒かヴァン(Vin)だ!」
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。