「古武士(もののふ) 第73話 ヰタ セクスアリス」
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1980年代後半から道上は毎年3月末に日本へ帰って来るようになった。
桜の咲くころに全日本柔道大会に合わせて。
次女志摩子、愚息雄峰が調べたところ道上が愛した中国、東亜同文書院の卒業生が 毎年滬友会(こゆうかい)と銘打った集まりを年に一回行なっていた。
ごく親しい者達が道上の帰国に合わせ毎年集まった。
場所はいつも同じ銀座の中華料理屋だった。
卒業生は猛者ばかり。かなり気合の入った人物が多かった。
大手広告代理店、総合商社の現役重役など錚々たるメンバーが多かったがこの時は皆20代の若造に変貌して中国語を話していた。
昔の人は気合が入っていた。
最後は大声で校歌を歌っていた。上手い下手は関係ない。
その時は愚息も同席させてもらっていた。
宴もたけなわとなったころ生徒の一人が愚息に向かって「息子は外に出ていろ。」
30代の愚息も彼らにかかるとまるで小学生だ。
何やら愚息がいると答えられない質問を道上にするようだった。
言われるまま外に出て10分ほどたった後 「息子!もう(部屋に)入ってもいいぞ。」
何があったのやら、皆さんやれやれと言うようなしらけ顔だった。肩透かしにあったようだ。
どうやら 「先生!先生は何歳までセックスが出来たのですか。」
この質問に道上は顔色一つ変えず、しかも答えなかったようだ。
相手にしていないかのように。
道上は大変楽しそうにしていたが入って行けない領域であったのだろう。
帰りに生徒の一人から「先生飲みに行きましょう」としきりに誘われたが道上は首を縦には振らなかった。
ハイヤーのドアは開いたままで残念そうにしていた元生徒の顔が記憶に残る。
道上は人にご馳走になるのが好きではなかった。
しかも相手は一人だ。
皆と一緒であればまた違っていたのかもしれない。
愚息も道上から色恋の話は聞いたことがない。
また聞けるようなざっくばらんな関係ではなかった。
後に友人の梨元さんから聞いた話だが、道上がフランスへ行った当時、ボルドーでは船乗りの家に下宿していたそうだ。
船乗りだから年に半分以上船の上で暮らし、その間奥方は家で独り暮らし。
夜な夜なスケスケのネグリジェで歩き回られるのがたまらずすぐに引っ越したそうだ。
やはり愚息には言えない事が多く、愚息が知らないことが多いようだ。
しかし日本人しかも師であるという立場上、自制してそういった浮名がなかったのか、 それとも体力的に身体的にそういった事がなかったのか。
愚息には謎である。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。