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        「古武士(もののふ) 74話 本物とは」

        ________________________________________

        1987年のある日、一本の電話があった。

        「先生勲四等を貰って頂けないでしょうか?」

        「そんなものいらん。」

        そばにいた次女志摩子は慌てて電話を取りあげ、

        「是非お願いします。」

         

        勲四等はこのようにして決まった。

        一事が万事このありさま。

        これが愚息には理解できなかった。

        フランスではTVの取材、新聞の取材、道上の人生の映画化、

        すべて道上は断り続けてきた。

         

        「お父さん世間では木村政彦が歴史上もっとも強い柔道家だと言われているのですよ。」

        「ヘーシンクは松本安市と言う人が教えたことになっているのですよ。 お父さんに何度も絞め落とされ、お父さんの前では、いつも直立不動だった人が。」

        「お父さんは天理教二代目真柱中山正善さんに頼まれて数週間預けただけなのに・・。 そのときたまたま松本安市さんが柔道の監督をしていただけじゃないですか。」

        「しかも裏をとらないで有名な某テレビ局が流しているんですよ。それでも世間は信じちゃいますよ。」

         

        道上は愚息に向かって低い声で静かに

        「世の中は食べて行くためには仕方なくそういうことを言う人もいるんだ」

        急に愚息に向かって鋭い目線で 

        「君はいちいちそんな事を気にする暇があったら自分が信じる道を正しく生きる事だ。」愚息はまた叱られた。生き様の次元が違う。

        牛島辰熊(1904~1985)から友人である道上に、木村政彦(1917~1993)に稽古をつけてくれと依頼があった。

        道上は「牛島さん貴方がやれば良いではないですか。」と言ったところ「私がやり過ぎると困るので。」と言う。

        結局道上はしぶしぶ木村政彦に稽古をつけた。

        そうとう投げ飛ばしたらしい。

        一般に強いと言われている柔道家も武専のトップ、すなわち柔道を作ってきた人たちとの差は歴然であった。

        後、木村は何とか武専に入れてほしいと道上に懇願した。

        頼まれると弱い道上は武専の先生方に特別に入れてほしいと根回しをした。

        これは武専では稀有な事であった。

        しかし試験当日木村は答案用紙に一行も書かず(書けず)提出してしまったため、道上は先生方に詫びて回った。

        このことを木村は知らない。

        当時答案用紙に何も書かなくとも合格する学校もあったが、武専は学力レベルも高かった。

        道上もまさかのことだった。

        しかし木村は本来義理を欠く人間ではなかった。

        彼は1954年フランスに立ち寄り道上に会いに行った。

        丁度力道山との試合を目前にしてのことだった。

        道上が彼に「苦労しているそうだな、今度レスリングとの試合をやるそうだな。」

        涼しい顔で木村は「八百長ですよ。ショウですから。」と言った。

        道上は心配そうにしていた。

        ヨーロッパではそんなにお目出度いやり取りは無い。

        八百長と言った者がいれば、その裏には必ず考えがあってのことだ。

        木村は大丈夫かと道上は心配した。

        この後の結末は伝える必要も無いと思うが、木村の歴史的な惨敗があった。

        海外で、何でも有りの試合を繰り返し、武器を持った者につけ狙われていた事のある道上にはそう言った駆け引きは通用しない。

        負け、即ち死を意味する事である。

         

         

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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