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        第一章  亀裂   ②フミの生い立ち
        フミは東京葛飾は金町で生まれ育った。
        葛飾は東京の北東部、江戸川をはさんで千葉県に向き合っている所だ。金町のすぐ隣は、渥美清主演の映画で有名なあの、寅さん、の
        舞台になっている、柴又である。
        フミのとっては、どっしり構えた帝釈天のお堂も門前町の賑わいも
        相変らずのんびりとのどかな矢切の渡しも、自分の家の庭の様にして親しんできたなじみ深い所だった。
        実際、フミの周りにも、人情の細かな寅さんぽい人柄の人物が多かった。
        だがフミの父親は性格のおだやかなサラリーマンだった。
        いつも家族の事をニコニコと笑ってみているだけで、決して家長としていばったり、わがままを言ったりすることはなかった。
        そのぶん経済的にはとりあえずの安定はあったが、一家を切りまわす母親としては、何かにつけて苦労していたようだ。
        時代も時代だった。昭和23年(1948年)生まれのフミを長女に妹と弟がいたが、何しろまだ敗戦の後遺症を引きずっていた20年代の東京のこと、食べる物も着る物も極端に不足していた。
        ちなみに、フミが生まれた昭和23年には、配給統制のコメが1人1日2合5勺から2合7勺に増配になって、それでも人々はホット胸をなでおろした時代だ。飢餓の不安はまだ居すわっていた。
        フミは、ただおとなしいだけの父親に代わって日々奮闘する母親の影響を受けて育った。
        いや、幼い時からいつも忙しげに立ち働くその母親をしっかり援けて、フミもまたこまめに働いた。
        母親は「もう一人わたしがいるようだよ」と言ってよく顔をほころばせた。
        フミは勝と結婚するまえ、煎餅あられ、を商う上野の名店街のショップで働いていた。気だてが良くて、他人思いでひょうきんだから、職場の人気者だった。
        「フミちゃん、ほら、田原町の仏壇屋の若旦那がまた来たわよ」
        「フミちゃん、御徒町の、鳥清、の息子さんがご来店よ」
        たしかに、フミを目当てに来るお客も少なくなかった。
        商品の煎餅あられの味もさることながら、フミのまぶしいような
        笑顔やテキパキとした受け答えも、また店の売りものになっていたのだ。
        事実、うちの息子の嫁にという話も、店長の山崎政太郎を通じて、持ち込まれたこともあったが、フミは「まだその気はないので」と素っ気なく断っている。
                          ③勝のアプローチへ続く
        
        
        

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