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        第一章  亀裂        ⑦喧嘩の原因 
        
        それにしても、おとうさんはやりすぎよ。息子の勉強机やスタンドまで本人やわたしに無断で持ち出し、中国留学生にくれてやっちまうんだから。
        というフミの抗議に、勝はこう言ったのだ。
        ― 実博はどうせ勉強嫌いだから、机がなくなってよろこんでいるよ。
        フミは、あんた、それでも父親か、と噛みついた。自分が血を分けた子供と、見ず知らずの中国留学生とどっちが大事なのと、食いさがった。
        勝は、いちいち細かいことにツベコベ口出しするな、と怒鳴った。
        そして、鉄拳がふっとんできたのだ。
        フミは、見えるはずのものが見えない苛立ちをもてあましていた。分かりあえるはずの勝のこころの奥底がつかめないというイライラをつのらせていた。
        ― 勝の胸の底には、二十年、一緒に暮らしてきたわたしにも明かさない何かがあるんだ、いえ、もしかしたら、勝自身にもしかと分かりかねている何かがあって、勝もそれに衝き動かされているんだ。
        勝はよく、自分が育った福島県いわき市に足を運んだ。
        彼が育った頃は平と言い、炭鉱の町だった。彼の母親はいまでも健在だから、親思いの勝は車を飛ばして気軽にいわきを訪れるできるかぎりフミを同道するフミもいわきに出かけるのが好きだ。母親は健在とはいえ、実はこのところ病院ぐらしなのである。
        フミはまっ先にその病院を訪れる。
        院長の安濃栄一は、偶然のことながら中国の長春生まれだった。
        「自分も中国には特別な思いがある。五十嵐さんが中国の若者たちにこころを配ってくれることはとても嬉しい」
        勝の母親きよのは、三年前に喉頭ガンに罹って手術をし、声を失くしている。
        「きよのさんのことは私にまかせて、五十嵐さんにはこころおきなく中国人の面倒を見てもらいたい。まあ、私の分までね」
        安濃先生のまなざしはいつも優しい。
        フミは、そのきよのを実の親のように大事にしている。
        勝がいわきに現れると、それからそれへと人伝に聞きつけた小学校、中学校、そして定時制高校時代の友人たちが、入れかわりたちかわり押しかけてくる。かなりの悪童ぶりを発揮していた勝だが、友人たちの人気は抜群なのだ。
        語尾に「・・・・だっぺな」「・・・・だっぺよ」をくっつける昔ながらの土地ことばを駆使して、みんなよく喋る。よく飲み、よく食う。
        東京でも庶民の町と言われる葛飾金町に生まれ育ったフミだが、勝やその仲間たちのあけすけで明るいやりとりを聞いていると、つい自分も小学時代からずっと彼らの仲間であったような錯覚をおぼえてしまう。
        生後間もなく勝は父親三郎を失っている。戦災で、ということになっていた。父親の写真もなかった。すべて灰になってしまったのだろう。
        祖母まつも、母親きよのも、三郎のことを語らなかった。勝もなんとなく死んだ父親のことは訊きそびれて過ごした。
        勝は幼いときから町の商家の手伝いやら新聞配達やらに働きに出て、いくばくかの労賃を母に手渡したりした。それらの仕事を通して肉親とは異なったおとなたちと接して、勝はそれなりの戸惑いや苦労や痛みをいやというほどに味わっていた。
        そのせいか勝には、相手や周囲の人びとに対しても同じ年頃の子供にはない敏感なきばたらきや心くばりがあった。だから、父親のことになぜかあまり触れたがらない母親の胸のうちも、それなりにおもんばかるところがあって、そのことはしいて触れずにきたのだ。でも勝の胸のうちには、顔を見たこともない父親への思いが年々大きくふくらんでいた。
        
        フミは思った―うわべはきかん気で悪童ぶってきた勝だが、内面はひと一倍恥ずかしがりやでさみしがりやの彼は、きっと幼いときから優しさや温かさに焦がれてきて、密かに煩悶してきたにちがいない、と。行き場のない切なさや淋しさを押し隠して、陽気に、悪っぽく振る舞うことで、自分自身を、そして周りの人たちの目をはぐらかしていたのではないか、と。
        
        十八歳になった実博も十六歳の幸子も、近頃は父親としての勝をあきらめたような目で眺めやっている。
        勝とフミの言い争いをそれとなく察して二階から降りてきた幸子だが、父親が母親を殴打したことであきらかに鼻白んでいた。
        幸子は、脱力感に打ちひしがれたようなフミのそばに近寄ると、スラックスの裾のチリを手で払ってやり、「大丈夫?」と目で言ってフミの顔をのぞきこんだ。
        実博も、フミが勝に殴られたとき、そのただならぬ気配や物音でフミの危険を思い、勝を押さえようと店の奥の部屋から飛び出そうとしたが、幸子に止められた。
        あのまま実博が勝に飛びかかれば、男同士の乱闘になってことが大きくなるとの幸子の判断だった。
        その実博は、憮然とした顔で天井をにらんでいた彼もまた父親に言いたいことが山ほどあるのだ。
        実博はムスッとした顔で父親に近づいた。
        勝は唇をへの字にきつく結んだまま、実博を避けるように二階への階段へと歩きかけた。
        二階には、“留学生のためのクラブ”として開放してある部屋や、勝が留学生のための作業をするデスクを置いている部屋もある。
        この六畳ばかりの部屋の壁のいたることろに、ベタベタとスチール写真が貼りめぐらせてある。
        いや、天井も柱もスチール写真で埋めつくされている。
        すべてが留学生たちの顔写真であり、パーティや集まりの、そして勝を取り囲んだ記念写真なのである。
        その数は一千枚、いや二千枚か。
        この雑然とした部屋の真ん中にどっかと座って、勝は留学生のための煩雑な作業に専念するのだ。
        傍らの台の上の栗電話が鳴った。
        フミが気をとりなおして受話器を手にとる。
        「はい、八百春です!」
        気丈なフミはさすがに湿った声は出さない。
        いつものハイトーンの声だ。
        が、カラッとしたフミの表情がまた翳った。
        「おとうさんによ」と受話器を突き出す。
        踏ん切り悪くイソイソと行きかけていた勝は、荒っぽい足取りでフロアを戻ってきて、受話器を受けとる。
        「え?そうだが・・・ああ・・・楊・・・高洋クン・・・え?秦サンに聞いてきた・・・?」
        実博が隣りの部屋から出てきて、勝を一瞥し、投げるように言った。
        「またチューゴクか・・・」
        勝の声の表情は何となく柔らかくなっている。
        
        

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