第二章 出会い ②八百春の店でⅠ 年が明けると、春が来るのは早かった。 “八百春”ははやっていた。だが、八百ものに限らないが、食料品をあつかう商売というものは利益は薄い。薄利多売が原則である。 1円2円といった細かい数字を積み重ねていって、何とかまとまった収益にまとめあげなければならない。 “八百春”では近頃、扱う品数を増やしている。野菜、果物はもちろんだが、豆腐や牛乳まで置いている。いずれも生鮮食品だから、売り残したりすると具合が悪い。 何はともあれ完売してしまう事がのぞましい。 ジャガイモもキャベツもキュウリもトマトも、はたまた豆腐や牛乳なども、何となく売れ足がにぶく、これはどうやら売れ残りそうだなと思ったら、勝は思い切って大安売りをする。 仕入れ値を割らなければいいと考える。元が回収できればオンの字だ。少々損をしてもカネに変えたほうがいいい。ゴミにすればもったいないし、ゴミとして処分するにはあべこべに手数料を支払わらなければならないのだ。 牛乳1Lパック7本で千円とか、豆腐一丁十円を大声でアピールする。豆腐は卸値15円だから他店より安いのは当然だ。 しかも勝の売り込み方は巧みだ。大きな声でジョークやユーモアをまじえてアピールするのは勝の独壇場だ。 「このホーレン草、どうだい、みずみずしいよ。きょうの奥さんみたいだよ」 こんなおせじがポンポンくちをついて出てくる。相手がおなじみで、しかも、したたかなオバチャンだと、勝のアピールも一段とエスカレートする。 「そのグレープフルーツ、とびきりジューシーだよ。ほらほら、そんなにいじくっていると、だんだん大きくなって、おもらししちゃうってば!」 「やーねぇ!」と言いながらも笑いころげるオバチャンも、ちゃんと買ってゆくのだ。 「人間はね、柔らかく、そしてやっぱりカドがなくちゃ駄目だね。 この豆腐を見習いたいね」 オバチャンたちが思わずニヤリとする。 勝の買わせ上手は、あの“煎餅あられ”の仙田商事時代より磨きがかかっている。何しろチャーミングで小型グラマーのフミの心をキャッチし、あげく、あれこれの苦労をさせながらも、ここまで店を大きくしてきたとびきりの強力パワーだ。 だが。この安売り作戦も、豆腐の卸売店からは一兆十円で売るのは困ると言ってきた。 今後、豆腐の安売りを続けるのなら一切品物はストップするとクレームをつけられたこともある。たぶん、競合の小売店から卸売店に文句が行ったのだろう。 そんなブレーキにも五十嵐勝商法はくじけることがない。とにかく全体でなんとか相応の利益を確保すればいいという太っ肚なやり方だから、必ず主婦が殺到する目玉商品がいつも店頭を賑わしている。 それがまた明日の客になってくれた。 客の中には「八百屋さんは、その意気で魚も扱ってくれたらいいのに」という希望もあって、勝はそれならと、鮮魚専門のコーナーも作った。ところが最近 これらのとびっきりの目玉商品を狙ってくる主婦たちにまじって、 さらにしつこく値切っていくグループがある。新たにやって来た主婦たちではない。若い男のグループだ。中国人留学生たちである。 彼らは日中文教協会船橋寮の寮生なのだ。 彼らの日本語はカタコトだ。だが、そのカタコトを武器に彼らは、きわめてにこやかに、そしてねばり強く値切るのである。 口の達者さでは誰にもヒケをとらないつもりの勝も、この中国人留学生グループの値切り作戦にはかなり戸惑ってしまった。 彼らは日本語のカタコトで、ニコニコしながらもかなりズバズバ 交渉して来る。まさにおめず臆せずといった勢いで、日本人の様にテレたり恥ずかしがったりしない。 勝の店の端には、いつも飼い犬のチャウチャウが寝そべっている。 勝はチヤウと呼んでいる。 体重は20キロ以上、ムクムクとした体と、いつも笑っているような顔つきをしているのが、勝のお気に入りだ。 留学生たちはこのチヤウを見つけると、「カワイイ!」と口々に連発する。チヤウを賞めると勝の機嫌が一段と良く成るのを、もう知っているのだ。おせじ作戦だ。 「この犬、モトハ中国ネ。僕タチ仲間デス」 勝はつい、「そうか、そうか」と満面の笑みを浮かべてしまう。すかさず学生の一人が言う。「コノジャガイモ、ヒトヤマ、150円、 100円二、シテクダサイ」 勝は、「おっ?」と言って、留学生の顔を見返す。日本人ならたいてい、ちょっと盛りつけのいい山を選ぶのに迷ったりするが、いきなり150円を100円にしろという値切りはせずに黙って買っていく。しかし、留学生は屈託のない表情で勝の返事を待っている。 「150円を100円にしろとは、そりゃムリだね」 勝はムッとしながらも、その気持ちを表に出さずに言った。 「それなら、20円デモ、10円デモ、安クシテクダサイ」 ソフトな口ぶりだが、色白で細っこい顔のその留学生は、おいそれとは引き下がりそうにもない。と、太っちょの別の留学生が口をはさんだ。 「コレト同ジクライノジャガイモ、駅ノ向ウノ店デ、120円デシタ」 勝はまた、「おっ?」という顔をした。 やたら目の細い別の留学生が、わざとらしい、すっとん狂な声で言った。 「オー!アノ猫モ、中国ノ猫。中国デ、猫ノコト、マオルト言イマス。ソノ系統デスネ」 勝は店の奥の棚の上にうずくまっている飼い猫のトラを見上げた。 中国の猫の血を引いていると留学生は言ったが、勝は、うちのは ありふれたトラ猫だと思ってきた。 雑種の迷い猫だ。 育ちも悪けりゃ愛想もない。それを中国の猫だと?勝はそれこそ ミエミエのおせじ作戦にむしろ苦笑した。 「それなら君たち、おれとジャンケンをしよう。もし負けたら、 このジャガイモ、ひと山100円にしてやる」 勝は、持ち前の茶目っ気を出して言った。 「そのかわり、おれが勝ったら、この値段で買うんだ」 留学生たちは、顔を見合わせた。日本風のジャンケンについて、 相談しているようだった。 もう、ジャンケンを知っている物がいるらしい。太っちょが代表して、勝の前に立った。 まるで真剣勝負にのぞむ剣士のように、緊張している。 ぎゅっと結んだ、への字の顔が子供っぽくて、勝は思わず笑ってしまった。 「最初はグーだ。それからジャンケンポンだぞ。」 勝は具体的なジェスチャー入りで説明した。 「最初はグー!ジャンケンポン!」 ほかの二人も力みかえって唱和した。 太っちょがグー、勝がチョキ。すかさず三人が声を合わせてワーッと叫んだ。勝は彼らの嬉しがりようがあんまり派手なのでびっくりした。 居合わせた主婦たちが、何事かといっせいに、こっちを振り向いた。フミも、「バカなことやってるんじゃないよ」と、非難のまなざしを向けている。 でも、約束は約束だ。学生たちは、ひと山100円でジャガイモを持ち帰った。 その楽しげな後ろ姿に、勝は「ありがとうございッ!」という ことばをかけた。 「何となく憎めない奴らだな」 続く