第二章 出会い ⑦ 友人・北村徳夫Ⅲ 北村がじっと勝の顔を見つめた。 勝は驚いた。 なぜなら、北村の細い目から涙が一筋二筋と流れ落ちたからだ。 「おい、北さん、今日は悪酔いしてんじゃないか?」 「このビールは、おれんちで買ったビールだろう。悪酔いするなんてことはない」 「そりゃそうだ。じゃ、ここへ来る前に飲んだモノが いけないんじゃないか?」 「ここへ来る前に飲んだのも、おれんとこの店で売っている焼酎だ。 もう30年間も飲んでいる焼酎で悪酔いするなんてことはあり得ない!無責任なこと言うなよ」 勝は頭をゴシゴシかいた。 「いいか、イガちゃん。おれはね、今まであまり口に出したことはないが、口から出まかせに悪く言う奴は許せないのだ」 「許せないって・・・・そりゃあね、あの留学生のことはね、軽はずみだったよ。カンベンしてくれよ。」 きちんと頭を下げた。テーブルに両手をついて、ていねいに謝った。 習志野に行く国道14号線で、ついスピードオーバーで白バイに捕まったときも、ただひたすら虚心に謝って何とか見逃してもらったことがあるし、船橋駅裏の飲み屋の女と、つい誘われるままに遊んで フミにバレて、そのときもひたすら詫びて、ことなきを得た。 とにかく、悪いと分かったら理屈を言わず、ごめんなさいを連呼するのが一番と、勝はホントにそう思っている。が、北村は、深々と頭を下げた勝を見ていながら、見ていないようだった。 胸によほど深くて重いものがあって、いちずにそれに捉われているらしいのだ。 「今のおれにとってはね、中国人はとても心の広い人たちだと言うよりほかに、言いようがないんだ・・・・」 しみじみとした北村の口調が、ちょっと浮足立っている勝の心に スッと沁みた。 「実は、この間の3月2日、とっくに中国で死んだと言われていた 姉さんの子供がひょっこり日本に来たんだ」 「あ、それって・・・・・」 勝は、第1回・中国残留孤児の一団が敗戦後36年目にして日本を訪れたというニュースを思いだしていた。 「たしか。4,50人ほどの残留孤児がやって来て、半分くらいの人の身元が判明したんだよな」 北村はうつむいていた頭を上げた。少し微笑したようだった。 「そのなかに、おれの姉の娘がいたんだ」 「ほう!」 「娘と言ったって、もう42歳だ。おれたちは姉と弟の二人 きょうだいで、姉は昭和19年に軍属の鉄道技師の亭主と一緒に 中国へ渡った。20年男3月、戦況が逼迫して、撤退命令が出た。 その大混乱の中で、6歳のひとり娘と行きはぐれた」 北村は吶々と語った。 亭主は途中、悪質な病にとりつかれ、引き上げの一団から姉夫婦は取り残される。 看病のかいもなく、亭主は死んだ。 姉は髪を切り落とし、ぼろをまとって男になりすまし、別の引き揚げの一団にまぎれ込んで、大連からの引き揚げ船に乗り込んだ。 だが、日本に帰って来て1年、その姉も病死した。 姉の命を奪ったのは、病ではなかった。中国奉天(現・瀋陽)で はぐれ、そのまま見捨ててきた6歳のひとり娘への慙愧の念だった。 北村のひとり語りは、勝の胸のうちを切なさで、いっぱいにした。 北村とは、もう永いつきあいだった。 もう1人、津田沼で八百屋をやっている飯島為吉との3人は、よく競輪だ、酒だ、たまには温泉旅行だと行動を共にした仲だ。 が、北村が・・・いや、北村にまつわるこんな話を彼が面と向かって 語り聞かせてくれたのは初めてだった。 続く