2024年12月7日
話のタネ
東南アジアとアメリカとの関係
元国連事務次長・赤坂清隆
前略、
今回の「話のタネ」は、最近話題になっている東南アジアとアメリカとの関係を取りあげてみたいと思います。
内容が同様で、もっと短い記事は、日本英語交流連盟(ESUJ)の意見欄(JITOW)
https://www.esuj.gr.jp/jitow/729_index_detail.php#english
に、英和両文で寄稿いたしました。今回は、軽いタッチの「話のタネ」ではなくて恐縮です。
わたしは、1980年代の頃ですが、マレーシアに2年余り勤務したことがありました。当時のマレーシアは、現在の高層建築が立ち並ぶ首都クアラルンプールの様相とはまるで違って、シンガポールの裏庭ともいわれ、牧歌的というか、桃源郷的な雰囲気がする国でありました。マハテイ―ル首相が就任して間もなくの頃で、彼が打ち出した「ルック・イースト政策」が緒についばかりでした。植民地帝国だった英国からのくびきを脱して、アジアの先進国たる日本から学ぼうという熱望がみなぎっていた時期でした。
当時、アメリカの大使は、大柄な黒人男性でしたが、彼が主催のレセプションの場で、よせばいいのに居並ぶ各国の大使の名前をメモも見ずに呼び上げたのは良いのですが、次から次へと名前の間違いが続いて、聴衆の失笑を買うことおびただしいものがありました。いかにも「がさつなアメリカ人」という印象を与えるに十分な出来事でした。このようなこともあってか、「イギリス人やアメリカ人は模範にはならない」とする冷めた見方がマレーシア人の間に強いように見受けられました。
それでも、そのころのアメリカの力は絶大でした。
中国は鄧小平が主導した経済開放政策が始まったばかりで、政治力も経済力もまだまだとるに足らない存在でした。
その後中国は飛躍的に経済力を伸ばすわけですが、アメリカの優位はゆるぎないものでした。
「もし中国とアメリカとのどちらかを同盟国として選ばなければならないとしたらどちらを選ぶか?」という、6年前から始められたシンガポールの調査機関の質問に、アセアン加盟国は、過半数がアメリカを選ぶと答えてきました。
ところが、今年2024年4月の調査では、中国を選ぶと答えたアセアン諸国の人々の割合が50.5パーセントと急上昇し、初めてアメリカを上回りました。
中国を選ぶと答えた国では、マレーシアが75パーセントで最も高く、「やっぱりマレーシアか!」と思いましたね。
続いてインドネシア、ラオス、ブルネイがいずれも70パーセント以上でした。
マレーシアとラオスでは、前年に比べて20パーセント以上も伸びました。アメリカと同盟国の関係にあるタイですら、中国を選んだ割合が52パーセントにも達しました。
このニュースは、世界の識者を驚かせ、「アメリカは東南アジアを失うのか?」と、いろいろな憶測が取りざたされています。
なぜアメリカが東南アジアでこれほど急に不人気となったのでしょうか?日本のメディアのみならず、英エコノミスト誌やタイム誌、フオーリンアフェアーズ誌、ザ・デイプロマット誌などの海外の主要メディアもこのニュースを取り上げ、考えられる要因として次のような諸点を挙げています。
第一に、昨年インドネシアで開催された東アジアサミットに、バイデン大統領が欠席したことが不興を買ったこと。
ラオスで開かれた今年の東アジアサミットにも、バイデン大統領は2年連続して欠席しましたが、このようなアメリカの態度は、アセアンを軽視していると見られているのです。
第二に、経済貿易及び経済援助関係で、中国の方がアメリカよりも重要性を増していること。
ほとんどの国で中国が最大の貿易相手国になっています。
今回の調査結果も、中国への傾斜が著しいマレイシア、インドネシア、ラオスが「中国の一帯一路構想と強固な貿易・投資関係から大きな恩恵を受けている」と指摘しています。
第三に、アメリカの台湾政策を含む中国敵視外交が、この地域の安定を損なっているとの見方がアセアン諸国には強いこと。
リー・シェンロン前シンガポール首相は、すでに2020年フォーリンアフェアズ誌に、アジア太平洋諸国は、アメリカと中国とのいずれかの選択を迫られる事態を望んでおらず、アジアの世紀の実現は、両国が対立を克服することにかかっていると寄稿していました。
第四に、アメリカのイスラエル擁護です。
ムスリム人口では世界最大のインドネシアをはじめ、ブルネイ、マレーシアなどでもムスリム人口が多く、パレスチナを支援する人々が多数です。
このため、イスラエルへの非難が、ひいてはアメリカ批判へと結びつきやすいと指摘されています。
欧米のメディアが指摘するこのような短期的な諸要因のほかに、わたしは、文化、文明的な要素もあるのではないかと思います。
アメリカは、世界最大の軍事力を有する国として、武力による平和ということをこともなげに主張しますが、アジアから見るとこれは西洋の覇道の文化を代表していると見てとれます。
西洋は、長い歴史を通じてたくさんの国の間で戦争が繰り返され、その挙句に、アジア地域にも帝国主義の触手を伸ばしました。
他方、東洋は、孫文が昔強調したように、従来から覇道の文化を軽視し、仁義道徳の文化、すなわち王道の文化を有しております。
現実の中国はこのような王道の文化を体現しているとはとても言えませんが、東南アジアの人々は、荒々しい西欧文明よりもむしろこのような東洋の文化に深い愛着を寄せるように思えます。
それゆえに、同地域には、文化的にも、アメリカよりも中国や日本に親近感を持つ人々が多いと見受けられます。
これは、マレーシアのような国に少し住んでみると、日々肌で感じることができます。
この文化、文明的な選好というのを、欧米のメディアは十分理解していないのではないかと思われます。
アセアン諸国の外交方針については、必ずしも一枚岩ではありません。
たとえば、国連での投票態度についても、アセアン諸国はEUメンバー国のように統一的な対応を示すわけではなく、ウクライナ侵略に関してロシアの軍事行動の即時停止を求める国連総会決議に対しても、マレーシアやシンガポールなど賛成する国と、ベトナム、ラオスのように棄権する国に分かれました。
自国ファーストを唱えるトランプ政権が、来年1月に再び発足するのに伴い、ますます多くのアセアンの人々がアメリカに幻滅を覚えて、中国になびく恐れがあります。そうならないようにするためには、アセアン全体に対してのアプローチよりも、その個別のメンバー国の状況に配慮したアプローチのほうが好ましいと思われます。
日本としてできることは限られているかもしれません。
それでもアイデアの一つとして、日本がアセアンのいくつかの主要国に、リベラル民主主義の牙城たるOECD(経済協力開発機構)とのつながりを深めるよう、橋渡しの努力を強化することが考えられます。
数多くのOECDの経済、金融、税制、貿易、開発などのプログラムに、アセアンの主要国を引き入れる余地があります。OECDからは、その特徴であるメンバー国間のピア・レビュー(相互評価・検証制度)によって、ガバナンスや経済、社会制度について、有益なアドバイスが得られます。
アメリカは、2000年代に入って中東諸国へのこのような働きかけを強めましたが、アセアン諸国を相手にした働きかけは、長く日本がリードを保ってきました。
OECDには、長年ロシアが加盟の意向を示して、「OECDのドアの外でしびれを切らして待っている」状態だと言われますが、その政治経済体制のためにこれまで加盟が認められてきませんでした。
ウクライナ侵略が続く現在、ロシアの加盟は遠ざかりました。また、中国は、OECDから利益を得られる分野では近づき、開発援助策のような分野では遠ざかるという「いいとこどり」の関係を保っていますが、OECD加盟となると当面無理でしょう。やはり、OECDは、西側先進国の、リベラルな経済政策と民主主義的な政治体制を擁護する砦としての役割を担っていくでしょう。
アセアンでは、最初にタイが、2000年代初頭のタクシン政権時代に、2020年までに加盟したいとの意向を表明しました。しかし、2006年の軍事クーデターでタクシン首相は解任され、OECD加盟問題は雲散霧消しました。その後インドネシアがOECDとの関係を深め、今年2024年2月には、OECDとインドネシアとの間の加盟協議が開始されました。
そして、タイも再び加盟の意図を表明しました。
両国の後には、マレーシア、フィリピンなどが控えています。OECD加盟にこれまで消極的なシンガポールもそのうちに同調するでしょう。
アセアンがアメリカよりも中国になびいているというのは、日本の多くの人にとって、愉快なニュースではないかもしれません。
しかし、よくよく考えてみれば、本質的な問題は、アセアンがアメリカ寄りか中国寄りかという問題ではないという気がします。
むしろ、本当に大事なのは、アセアン諸国が、日本などと肩を並べて、リベラル民主主義体制を選ぶのか、それとも中国のような権威主義的、閉鎖的、国民抑圧的な国家体制を志向するのかの問題でしょう。
そう考えれば、回答は自明でしょう。
今回のニュースは、将来的には、それほど心配するようなものではないのかもしれませんね。
長くなりました。この辺で失礼します。(了)