縄文道通信第18号 2020/01/18
「日本列島人のゲノム進化」
―ヤポネシア ゲノムーー
齋藤 成也 東京大学教授の講演要旨
一般社団法人縄文道研究所
代表理事 加藤 春一
「日本人の源流」という書籍を刊行し、現在日本でのゲノムによる縄文人由来の研究では世界的に見ても第一人者は 齋藤成也 東京大学教授(国立遺伝学研究所教授)である。
本日、齋藤教授の講演に3度目になるが参加した。過去2度は弊社とアライアンスを結ぶ、グループダイナミックス研究所の柳平彬代表が主催するセミナーでお聞きしている。前回は講演後、親しく飲食を共にしながら、教授の博学なる見識に触れ感激したと同時に「縄文道」展開に励ましのメッセージも頂いた。私事ながら、教授は筆者の義理の息子がテキサス大学(オーステイン)で約8年間、経済学の教鞭をとり、長女も同大学で歴史学の博士号を取得した経緯をお話した処、偶然にも教授もテキサス大学(ヒューストン)で博士号を取得し(東京大学でも博士号を取得している)現在も学問的な深い交流があるとお聞きした。
先ず今回の講演で今迄との違いを3つ挙げていた。
第一は日本人のDNA解析が大変な勢いで進んでいると同時に、世界的にも大きな進化を遂げていること。過去20年間の進化は、まさに全人類の生命の進化の全貌が解明されつつ有るという、学者にとって最もエクサイテイングな時代に生きているとのこと。又個人がゲノムの検査を受けるコストも現在8万円位だが、数年で5万円位に安くなるであろうと予測していた。従来のミトコンドリア染色体(母方)Y染色体(父方)との塩基数の数が、現在のゲノムDNA解析―約32億4つの塩基アデニン(A)チミン(T)ゲアニン(G)シトシン(C)と違うこと。因みにミトコンドリア染色体は約16,500と極めて塩基数が少なく、精度において全く比較にならない。教授の属する国立遺伝学研究所では、世界中から助手も集まり日夜研究と解析が進められている。日本列島全体で発掘された縄文人の歯や骨から解析された、分析結果は以下の通りとのこと。
アイヌ人 67% オキナワ人 27% ヤマト人 10%前後
又 現代の日本人の本土のヤマト人は 約12%の 縄文人DNAを引き継いでいる。
第二は日本人全体の起源を学問的に横断的に研究しようとの動きから、齋藤教授が中心になって「ヤポネシアゲノム」という組織を創ったことだ。即ち考古学者、言語学者、遺伝子学者3グループの学者がそれぞれの見解を持ち寄り議論をして共通の見解を示すという画期的な動きだ。この中で注目されるのが、弥生時代の期間変更だ。従来は紀元前500-700年から紀元後200年くらいであったが、現在は紀元前1000年頃から紀元後200年と約500年延長された解釈が主流になった。筆者も、3つの分野を別個に勉強してきたが、このグループが今後更に研究を深め共通の見解を示してくれることは、今後の日本史の世界全体への発信においても画期的と考える。
第三が日本人―縄文人渡来のルーツと大陸農耕民族との混血説である。
約20万年前に人がアフリカで誕生し、東アフリカのグループが6-7万年前に、現在の西アジアに進出した。今から5-6万年前に」ユーラシア大陸の西へ、北東へ、更に南東の海岸線へと分れていった。海岸線沿いの人はスンダランド(インドシナ半島から南のインドネシア一帯)に到着し、3-4万年前には南に行ったサフールランド(ニューギニア、オーストラリア)と分れた。スンダランドの集団は東の揚子江流域、更に北上しシベリア地域に達した。これらのスンダランド発の人集団が南からと北から3-4万年前に日本列島に到着した。彼等は従来通りの解釈で第一段階はアイヌ人 第二段階はオキナワ人 第三段階はヤマト人が中核となって縄文人を形成していった。その後、縄文時代晩期から弥生時代にかけて、ヤポネシア人が形成される過程で弥生人―韓国、北方中国、南方中国等の農耕民族が入植し縄文人と混血した(融合した)説が有力になってきている。即ち従来の縄文人が弥生人に置換されたという説は消え失せ、混血説が主流で有る。
以上齋藤 教授の講演の内容は、近著「日本人の源流」河出書房新社を参考に戴ければ詳細が理解出来ると思うが、今回の講演で以下のことが明確になったことは、縄文道提唱者として喜ばしい動きであった。
1.ゲノムの研究の急激な進化 縄文人DNA継承率 アイヌ人67% オキナワ人27%
ヤマト人 10%前後。(現代の関東周辺のヤマト人は約12%)。
2.考古学者、言語学者、遺伝学者一体となった研究が開始され、統一見解を追究して行くことになった。
3.縄文人―ヤポネシア人が大陸の農耕民族と混血(融合)で形成されたことが明確になった